登场者プロフィール
神代 光朗
経済学部 准教授研究領域 : 経済学史、中?東欧、特にポーランドの社会?経済思想、 1967年 慶應義塾大学経済学部卒、 1969年 慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程経済学修士取得、 1972年 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了、 1969年 慶應義塾大学経済学部助手、 1978年 慶應義塾大学経済学部助教授(現准教授)、 1979?82年、94?95年 ワルシャワ大学経済学部経済思想史専攻科に留学
神代 光朗
経済学部 准教授研究領域 : 経済学史、中?東欧、特にポーランドの社会?経済思想、 1967年 慶應義塾大学経済学部卒、 1969年 慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程経済学修士取得、 1972年 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了、 1969年 慶應義塾大学経済学部助手、 1978年 慶應義塾大学経済学部助教授(現准教授)、 1979?82年、94?95年 ワルシャワ大学経済学部経済思想史専攻科に留学
西欧の基準だけで経済学を语ることに疑问。
学生時代からトータルに数えると、46年間、慶應義塾大学に通い続けたことになります。学部3年生のころまでは、プロの研究者になるなど想像もしていませんでしたが、まわりには勉強熱心な学生が多かったように思います。学费値上げ反対のストライキで2万人もの学生が集まったり、1月に実施される予定の試験が3月に延期されたり、大変な時代でしたが、私にとっては大きな経験であったことも事実です。そんな中で、卒論を書き、大学院に進み、マルクス経済学と経済学史の研究に取り組みました。
その后、ローザ?ルクセンブルグの学位论文、および『资本蓄积论』と民族问题をめぐる研究に携わるようになり、ポーランドへの留学も経験しました。ポーランドの民族问题と密接に関係するテーマだったからです。ワルシャワ大学で学んだのですが、「连帯运动」の时代でもあり、西欧だけの基準で経済学を语るのは一面的にしか过ぎないのだと痛感したものでした。その当时、下宿でお世话になったお宅の方やワルシャワ大学の先生达とは今も手纸のやりとりをしています。
歴史学としてのポーランドについて研究する人はいますが、経済学史、思想史の分野ではほとんどいません。まだまだこれからの学问です。そんな未知の学问に向き合うことができたことを、夸りにも思います。
学派が违っても学者同士、尊重しあう风土がある。
10年ほど前から、経済学史(16?19世纪)についての讲义を担当するようになったのですが、はじめは1400人近くの学生が受讲者として杀到しました。うれしい误算でしたが、时には怒鸣らないと讲义にならないという事态には戸惑いました。ただ、中にはお年寄りが聴讲生として讲义を聴かれたり、他の大学からぜひ聴きたいといって来てくれた学生もいました。感谢するばかりです。
庆应义塾大学には、立派な図书馆があり、贵重な文献も多い。その上、优れた先生方が数多くいました。私もさまざまな先生方に大きな影响を受けました。特に、庆应义塾大学の素晴らしいところは、たとえ学派が违っても、学者同士、尊重しあうという风土が根付いていたことです。派阀を作らず、かつては学问の自由を謳歌していたように思います。私自身も良き师に恵まれました。これからもそういう庆应义塾大学の良さを、新しい时代に即して、発挥していってもらいたい。同时に、世の中の人気大学ランキングなどに目を夺われるのではなく、地に足を着け、伝统で培った素晴らしさを见直して、学问の研究を花开かせてほしいと思います。学问の业绩はもちろん、有能な知识人を数多く辈出したことも、庆应义塾大学の功绩のひとつだと思います。翱叠会に出席すると、私などはまだ若辈者で、定年退职后も向学心を持った方々が数多くいます。
気品の源泉としての庆応义塾の伝统。いかに学生に伝えていくか。
现在は、「グローバル化」とともに私たちの时代とはものの考え方や文化现象など、时代のすう势も大きく异なります。滨罢の时代、価値観や文化観も私たちの时代のそれに当てはめようとするのは无理がありましょう。しかし、礼节だけは重んじてもらいたい。それは気品の源泉でもあります。学生たちに礼节をいかに教えていくかは、今后も课题といえるかもしれません。
そして、学生たちには、学问への関心を常に持っていてほしい。社会现象のネガティブな面、ポジティブな面、现象の深部における真実とは何かを探求してほしい。そのためには、やはり勉强しなければならないのです。
私自身も経済学史を民族の问题の视点から研究を続け、いつか形にできればと考えています。ポーランドという国の特殊な社会経済思想史をどうとらえていくか。未解决な课题がまだまだあります。幸いこれからは时间もあります。これまでは资料の整理にも时间的に追いつかないこともありました。今后、丁寧に时间をかけて、取り组むことができたらと思っています。
(2009年12月17日取材)
※プロフィール?职位はインタビュー当时のものです。