午夜剧场

慶應義塾

「ガクモンノススメ」と「ジャパンタイムズ」

公开日:2022.12.23
広报室

2022/12/23

日本最初の本格的な英字新闻である1897年创刊の「ジャパンタイムズ」は、福泽諭吉が日本の社会で果たした役割や庆应义塾について记事を掲载しています。「ガクモンノススメ」プロジェクトの一环で、株式会社ジャパンタイムズから、寄稿していただきました。

时代が大きく动き出した明治初期、庆应义塾の创立者である福泽諭吉は『学问のすゝめ』を书いた。その福泽が、英字新闻ジャパンタイムズを创刊した山田季治の亲族だったことを知る人は少ないかもしれない。しかし重要なのはその関係性ではなく、彼らが共に生きたのは长年にわたる锁国政策から日本が解き放たれた时代であり、西洋文明と古い日本社会の狭间でその桥渡しになる使命感を抱いていたということだろう。

ジャパンタイムズ纸は创刊以来、たびたび福泽諭吉や庆应义塾大学について报道している。例えば1907年4月12日の纸面では、庆应义塾大学が创立50年记念式典の开催を予定していること。そして式典には国会议员、大学学长、ジャーナリストなど6,000人を招待することを伝えている。

今年は、福泽の代表的な着书『学问のすゝめ』初编の刊行から150周年を迎える。当时の日本は徳川幕府(1603-1867)による锁国が终わりを告げ、开国と同时に新しい时代の幕开けを迎えていた。福泽は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」と记し、未だ封建制度が色浓く残るこの时代の人々に衝撃を与えた。

同书のなかで福泽は、すべての人は生まれながらに平等であるとしながらも、学ぶか学ばざるかによって贤人にも愚人にもなると述べている。そして、学问をすることにより个人が独立し国家が独立すること、良い家庭や良い生活のみに満足をせず、常に社会をよくする努力をしなければならないこと、そのために学び続けることが必要であることを説いている。近代化の一歩を踏み出し始めた日本だったが、当时はまだ一握りの特権阶级が国を动かしていたからだ。福泽の思想は彼の教育理念にも生きており、より良い国家をつくるために全社会の先导者となるリーダーを育成することを庆应义塾の真の目的として挙げている。

『学问のすゝめ』の初编は1872年に刊行された。これが好评だったことを受け、同书はその后シリーズ化されて1876年までに17编が刊行された。当时340万部ほどが売れたベストセラーとなった。

一方、日本最古の英字新闻である1897年创刊のジャパンタイムズは、これまで福泽が日本の社会で果たした役割や1858年に创立した庆应义塾について几度となく报じている。

庆应义塾大学が创立75年记念式典を开催した记事を掲载し、その教育の基盘となる福泽諭吉の「独立自尊」や「気品」などの道徳思想に触れつつ、明治初期の変动の时代をいかに福泽が乗り越えたかを大学の歴史と共に説明している。
1934年12月21日の「近代日本」についての特别号では、福泽諭吉の生涯と庆应义塾大学设立の経纬についての记事を掲载している。特に庆应义塾は1858年に兰学塾として创立されたが、英语の重要性から后に英学塾になったこと、故に同时代の他の教育机関より英语の総合的な习得に力を入れていたこと等が説明されている。

1922年10月31日の纸面には、すべての国民に教育の机会を与えるため1872年に公布された近代教育制度「学制」について、福泽の影响があった可能性を指摘する记事が掲载されている。これは、教育学者であり东京帝国大学教授を务めた吉田熊次が寄稿した记事で、福泽が幕府特使として米国や欧州へ派遣された时に形成された思想が、政府による新しい教育制度の决定に反映されていると考えるのが妥当であるという内容だ。その理由は、この新制度の目的が、人の成功の可否は教育次第であるという福泽が『学问のすゝめ』の中で説く考えと一致するものだからだと述べている。そして、この学制が目指したのは「すべての者がその个々の才能に従って能力を発挥するために、十分な教育を受けられること」だった。

文部省の设立50周年を记念して177人の教育関係者に银杯が送られたことを1922年10月31日の记事が伝えている。同じ纸面で、福泽諭吉を含む7人の着名な日本人教育者について取り上げた记事を掲载し、1872年に公布された近代教育制度「学制」は福泽の影响があったとする専门家の寄稿记事も同时に载せている。

また、1958年11月8日の纸面では、庆应义塾创立100年记念事业の记事を掲载しており、そのうちの一本は英国ケンブリッジ大学で日本研究者だったカルメン?ブラッカーの寄稿だ。福泽が明治初期に启蒙活动を进めた背景について书かれており、その中でブラッカーが述べているのは、当时の「启蒙」の意味は新しい西洋の観点に基づき日本の古い惯习や考え方を全面的に変革するように促すことだと述べている。

1958年11月8日の紙面で、この日慶應義塾大学が創立100年記念式典を開催することを報じている。日吉キャンパスの記念館で行われた式典には6,500名の生徒、卒业生、政府要人、外交官、海外大学の代表者が参加する予定であることや、天皇陛下も列席する予定であることを伝えている。
同じ日の别のページでは、创立者福泽諭吉の生い立ちの他に、明治初期の「启蒙」运动を福泽が进めた动机について英国ケンブリッジ大学の日本研究家が寄稿している。それによると、新しい时代の幕开けにあたり阶级差别の残る封建制度は支持できないと福泽は考え、日本人に欠けている「実学」と「独立自尊」の思想を広めようとしたと解説している。

ブラッカーによると、福泽にとって当时の阶层制に基づく封建主义は新しい时代には受け入れがたく、「そうした価値観は、西洋文明の最も重要な支柱であると福泽が考える『実学』や『独立』という日本に欠如している価値観に置き换える必要があった」とブラッカーは书いている。

その后、福泽はその生涯を悬けて日本人を启蒙し近代化へと导くことを目指した。そのため1860年代から福泽の着书のテーマは広范囲に及ぶ。なぜなら「启蒙する」ということは、新しい知识を与えるだけではなく、世の中に関する全く新しい视野を示すことだからだとブラッカーは指摘している。

1954年10月19日の纸面では、伊藤博文、渋沢栄一、福泽という明治时代の3人の开拓者を取り上げ、彼らがジャパンタイムズにとって「育ての亲」の役割を果たしたと説明している。この记事は福泽について、「ジャパンタイムズが始动するために必要な资金の调达を支援した」と述べている。同様に伊藤は、1890年に彼の私设秘书であり后にジャパンタイムズの初代主笔になった头本元贞が欧州や米国における新闻出版业を视察するために资金援助をしたことを伝えている。

1954年10月19日の纸面で、明治时代の3人の开拓者―渋沢栄一、伊藤博文、福泽諭吉―について、ジャパンタイムズの「育ての亲」だと述べている。中でも福泽について、「ジャパンタイムズが始动するために必要だった资金の调达を支援した」と伝えている。

『学问のすゝめ』が初めて刊行されてから一世纪半が経つが、社会は常に変化し続けている。福泽が説いた学び続けることの大切さは现在も、そしておそらく将来においても、薄れることはないだろう。

ジャパンタイムズ纸は最近も、週末の文化面で福泽諭吉と近代日本に与えた影响について度々取り上げている。例えば2017年7月2日の纸面では、福泽諭吉が近代日本社会を形作った文化评论家であったことを、福泽の着书「西洋事情」や「学问のすゝめ」を例に挙げながら论じている。
2019年9月22日に掲载されたコラムでは、福泽諭吉の「文明论の概略」「学问のすゝめ」を取り上げながら、福泽の时代が目指した「文明」や「発展」とは里腹に、现代社会では格差拡大などの负の侧面が表面化していることについて述べている。
2020年11月1日のコラムでは、新型コロナウイルス感染症が蔓延する现代社会と文明の発展が进んだ明治初期の社会を比较している。コロナにより人々がソーシャルディスタンスを保たなければいけない状况だが、明治时代に古い惯习と対峙した福泽諭吉の距离の置き方が参考になるかもしれないと述べている。
庆应义塾の创立150年を记念して、2009年1月~3月に东京国立博物馆において「未来をひらく福泽諭吉展」が开催された。2009年2月15日のジャパンタイムズ纸面では、その内容に触れながら福泽が社会におけるコミュニケーションの大切さを説き、日刊纸「时事新报」を创设し、ジャパンタイムズ纸の创设を支援したことにも触れている。

记事?画像提供:株式会社ジャパンタイムズ

ジャパンタイムズ 2022年12月16日掲载