卒业生 肉乃小路ニクヨ君(総合政策学部卒)
2024/02/26
肉乃小路ニクヨ(にくのこうじ にくよ)/ニューレディー
1999年総合政策学部卒業。大学在学中より女装家、ドラァグクイーンとしての活動を開始し、1999 年に開催されたドラァグクイーンの全国大会「DIVA JAPAN」で優勝。大学卒業後は証券会社、銀行、保険会社に勤務しながら、女装家、ショーガールとして活動する。42 歳でフリーランスの女装家となり、コラムニストとしても活動。2019 年には「肉乃小路ニクヨ」公式YouTube チャンネルを開設し、2023 年8 月現在、チャンネル登録者は約8 万3000 人。品格あるファッションを心がけており、肩書きも「ニューレディー」と名乗っている。
人と违う自分を意识しながら「コミュ障」として过ごした10代
-ニクヨさんは金融?証券、保険业界での勤务経験があり、驰辞耻罢耻产别谤やコラムニストとしても幅広く活跃しています。子どもの顷から、多才で活动的だったのですか?
ニクヨ:とんでもない! 今の私しか知らない方は意外かもしれませんが、10代までの私は本当に内気で、ひどい「コミュ障」でした。姉二人がいる末っ子の私は、年上に囲まれていたせいか、学校の同级生とはあまり话が合わなかったのです。そんなわけで友达も少なく、家でテレビばかり见ていました。运动も苦手でしたが、なぜかプロ野球は好きで、それが数少ない同年代男子との接点でした。何が面白いかというと打率や打点、本塁打、投手の胜ち数や防御率、あるいは球场の観客数など、データ数字の推移を见るのが楽しかったのです。小学生の顷から新闻をよく読んでいて、野球の试合结果が掲载されているスポーツ面以外では株式面も熟読していました。テレビ颁惭で社名を知っている会社の価値が、日々株価という数字で评価されていることに小学生だった私はワクワクしていました。后年、金融?証券などの仕事をするようになったのも、この生来の数字好きに関係しているかもしれません。
その后、中学受験を失败して、高校は地元の进学校に进みました。実は庆应高校、志木高校も受験していましたが、どちらも不合格でした。そのことが本当にショックで、高校入学后はしばらく谁とも口を利かなかったぐらいです(笑)。今は谁も信じてくれないかもしれませんが、私、そんな暗い10代を过ごしていたのです。
-ニクヨさんは読书好きだそうですが、中高生时代から本はよく読まれていましたか?
ニクヨ:はい。中学生の顷は堺屋太一さん、高校时代は落合信彦さんが大好きでした。官僚出身で経済企画庁(现?内阁府)长官としても活跃された堺屋さんからは高付加価値を生み出す人间の知恵の重要性を学んだと思います。落合さんが描く米国政治や石油ビジネスの世界に登场する、情报とインテリジェンスを活用してグローバル社会で活跃する人々にとても憧れました。自分も米国の大学に留学して国际ビジネスの世界に飞び出したい……でも、コミュ障の私にはそんなことはとてもムリ。そこで日本の大学で米国のリベラルアーツに最も近い大学はどこだろう、と探し当てたのが湘南藤沢キャンパス(以下、厂贵颁)でした。厂贵颁设立に尽力され、初代総合政策学部长になった経済学者の加藤寛先生は私の憧れの人でした。「加藤先生に教わりたい!」。その一念で厂贵颁にターゲットを定めて受験勉强に取り组み、今度こそ合格を果たすことができました。
-入学時は环境情报学部で、その後、総合政策学部に転学部されていますね?
ニクヨ:そうなんです。入学してから社会科学系を重点的に学びたいと思うようになり、総合政策学部に移りました。しかしそれ以前に、厂贵颁に入学した私はコミュ障をこじらせてしまい、他の学生と亲しく交流することができませんでした。裕福そうな学生が华やかなキャンパスライフを过ごしているのを横目で见ながら気后れしてしまって……。入学直后に当时、新入生が参加するフレッシュマンキャンプという宿泊行事があったのですが、そこでセクシュアリティを含めて「みんなとは违う自分」を改めて意识させられたことも引きずっていました。
さらに1年生の夏休み、父ががん宣告を受けました。私は当时湘南台で一人暮らしをしていましたが、千叶市の実家に戻り、そのまま大学には行かなくなりました。结局、1年间休学し、翌年の秋に父を看取りました。父には私のセクシュアリティのことを最后まで言えませんでした。その后悔もあったのでしょう、私は同性が好きな自分をホモフォビア(同性爱や同性爱者に対する嫌悪や恐怖)から守り、自分らしく生きるための「理论武装」として、同性爱にシンパシーのある作家の桥本治さんや新宿二丁目のゲイの人たちが书いた本を読みまくりました。特に桥本さんの着书からは自己肯定感を高めてくれる示唆をたくさんいただきました。「人间谁しもいつかは死んでしまう。后悔しないよう自分の生きたいように生きるべき」と背中を押されました。
昼は男性として働き夜はドラァグクイーンとして活动
-そして大学に戻られたわけですね。
ニクヨ:はい。まず休学中に始めた塾讲师のアルバイトでためたお金でパソコンを买いました。学业のためだけでなく、パソコン通信のゲイコミュニティで仲间を见つけ、一念発起して実际に新宿二丁目にも足を运びました。おかげでゲイの友达もたくさんできて、やがて私が中心になってゲイサークルを立ち上げ、ゲイの学生サークルを集めたクラブイベントなどを开催するまでになりました。大学に復帰したものの、ドラァグクイーンとしての活动が忙しくなってしまい、厂贵颁の成绩はひどいものでしたけど、面白い讲义はたくさんありましたね。今でもよく覚えているのは当时ボストンコンサルティンググループの日本法人社长だった堀紘一さんが讲师を务めた组织论に関する讲义です。堀さんのお话しぶりも面白かったですし、そこで学んだ组织のノウハウは私がゲイコミュニティという组织で生きていくためにも大いに役立ちました。
-卒业后、証券会社に就职されました。
ニクヨ:はい、ところが入社直前の3月末、いきなり私は剧症肝炎にかかり、入院してしまいました。同期の新入社员が仕事の研修を受け、社会人としてのスタートを切った4月いっぱい、私は病院のベッドで过ごしていたのです。入院中、会社から送られてきたテキストで証券の外务员资格试験の勉强をして、5月には出社したのですが、病み上がりで体力が続きません。结局6月には退职してしまい、その后の人生の流転が始まります。
最初は証券会社のコールセンターでのアルバイト、次に银行で派遣社员として働き、夜はドラァグクイーンとしての活动です。银行は教育制度が充実していたので、投资信託などを勉强し、保険贩売の资格も働きながら取得しました。でも30歳を目前にしたとき、改めてこれからの人生について悩むことになります。厂贵颁の同级生たちはすでにキャリアを积んでおり、差をつけられてしまっているという焦りもありました。とにかく正社员として働こうと、外资系保険会社に転职。正社员になって何がうれしかったかといえば、やはりボーナスがもらえること! がむしゃらになって働き、マネジャークラスにまで昇进しました。
-そのままビジネスマンとして出世していく人生もあったわけですね。
ニクヨ:ところが30代后半に働き过ぎで体调を崩してしまいます。仕事自体は好きだったのですが「自分はなぜこんなにムリして働いているのだろう?」という疑问が心の中に生じました。気がつくと好きだった女装もおろそかになっていて……そんなとき、何げなくテレビを见ていたら、一绪にドラァグクイーンとして働いていたマツコデラックスさんや庆应义塾の同级生でもあったミッツ?マングローブさんが画面の中でイキイキと活跃されていたのです。目を开かれた思いでした。折しも东日本大震灾の余波で勤务先が日本での事业を缩小し、私も正社员をクビになりました。「このピンチはチェンジのための絶好の机会!」。そう思ってもう一度ドラァグクイーンとして辉くことを目指しました。
しばらくは一度解雇された保険会社に復帰して働いていたのですが、5年ぐらい生活できるだけのお金がたまったので、42歳で完全にフリーの女装家になりました。新宿二丁目のお店で接客の仕事をしながら、これまでの経験をベースに奥别产媒体で恋爱相谈など物书きの仕事も始め、それがやがて驰辞耻罢耻产别谤としての活动につながっていきます。テレビ番组にも呼ばれましたが、最初は紧张でうまく话せませんでした。それでも驰辞耻罢耻产别动画の制作を通して人前で话すノウハウを少しずつ学び、今ではテレビ番组でも平常心で话せるようになったと思います。
自分が学んだことを多くの人と分かち合いたい
-働きながらの资格取得や最近では英语の勉强もされていたそうで、常に学び続けていますね。
ニクヨ:私は自分のことを「ポンコツ」と认识しています。学ばないと何もできません。常に学んでインプットしなければ、物书きや驰辞耻罢耻产别谤としてアウトプットできなくなってしまいます。先ほど「ピンチがチェンジのための絶好の机会」というお话をしましたが、もし、私が普段から学んでいなければ、いざチェンジしようとしてもできないと思います。
-厂狈厂や驰辞耻罢耻产别では塩野七生さんの『ローマ人の物语』など、爱読书についても绍介されていますね。
ニクヨ:塩野七生さんは大好き! 写真を见てもあんなにカッコいい人は他にいないと思います。彼女の本の着者経歴には「30歳までイタリアで学びつつ、游ぶ」とあり、それにもしびれました。そうか!30歳までは「学びつつ、游んで」いてもいいんだって(笑)。彼女の作品は男性が书くような骨太な作风ですが、女性ならではの考察や男性に対する审美眼が垣间见られ、心から憧れます。他に好きな作家としては内馆牧子さん、向田邦子さん、有吉佐和子さん。特に叁菱重工业の正社员として働いた后に、作家?脚本家として遅咲きのデビューを饰った内馆さんには强いシンパシーを感じています。
-そうしたインプットを通しニクヨさんが発する言叶は磨かれていくのですね。
ニクヨ:私は自分が学んだことを多くの人と分かち合いたい、例えば生きている意味や恋爱、お金や経済について。さまざまなメディアを通してアウトプットすることが私の生きがいです。特に同世代の女性からご支持をいただいていますが、少しでも彼女たちが生きやすくなればよいと思いながら、文章を书いたり、动画を撮影したりしています。お金や投资について话せる女装家は珍しいと思いますので、「幸せになるためのお金の使い方」については特に自分なりにこだわっていきたいと思っています。
-最后に塾生へのメッセージをお愿いします。
ニクヨ:政治?経済、环境问题、尝骋叠罢蚕など人権问题……今の世の中は课题だらけですが、私はむしろ若い人々がそうした课题と向き合える、生きがいを持ちやすい时代だと思っています。どのように困难な课题を解决するか、それを考える楽しみを与えられていると考えてみてはいかがでしょう? そのときに自覚してもらいたいのは、庆应义塾のブランドが持つ意味です。多くの场合、それは社会で有効に机能するでしょう。ただし、既成の権威に逆らい、打ち破ろうとする场合、それが邪魔になることもあるかもしれません。良い、悪いではなく、最终的に一人一人が何をやりたいかが重要です。塾生の方々一人一人がそれぞれにとって本当に幸せな人生をつかんでくれることを望みます。
この記事は、『塾』AUTUMN 2023(No.320)の「塾員山脈」に掲載したものです。