2019/09/26
慶應義塾では塾員(卒业生)を大学に招待する「塾員招待会」を開催している。
现在、卒业式に卒业25年を迎える塾员、入学式に卒业50年を迎える塾员、そして例年5月に卒业51年以上の塾员を招待している。塾员数の増加などによって开催?运営形态は変わってきたが、塾员と义塾、そして塾员同士の绊を确かめる场として受け継がれてきた。
1986年5月17日 卒業51年以上塾員招待会
各界で活跃する塾员が门出に立つ塾生を激励
第1回の塾员招待会は、1953年に卒业25年目と50年目にあたる塾员、さらには51年以上の塾员を叁田山上広场で开催された卒业式の来宾として招待したことに始まる。
招待状は全国の対象塾员1089名に発送され、约1割の110名が出席。出席者は叁田の学生ホールで开催された午餐会で旧交を温めた。このときの最年长の出席者は「製纸王」と呼ばれた実业家であり、理工学部の础を筑いた藤原银次郎(1889年卒业)で、当时83歳だった。
塾员招待会は、世间の银婚式や金婚式にならい、働き盛りの卒业25年目と、古希を超えた卒业50年目の塾员への祝福を意図していた。同时にこれらの人々に若き日々を追想しながら、人生の门出に立つ塾生を激励してほしいという思いも込められていた。
参加者の増加により変わる开催?运営形态
1986年になると出席者の増加により、卒业51年以上の塾员だけを気候の良い5月に招待するようになった。第1回の会场は叁田キャンパス西校舎518教室(现在の西校舎ホール/式典)と大学直営食堂(现在の生协食堂/恳亲会)で、出席者の中には高村象平、佐藤朔の元塾长の姿も见られた。
出席者が约1000名となった1988年の第3回卒业51年以上塾员招待会からは午前と午后の2回に分けた开催となり、さらに约1700名の出席者があった1994年からは西校舎中阶の山食も新たに会场に加わった。また、同年からは卒业50年塾员招待会が卒业式から入学式への招待に変わっており、ほぼ现在と同じ実施形态となっている。
その后、卒业51年以上の出席者は2000名を超え、1999年より会场を日吉记念馆に移し、二部制を廃止して一括开催されることになった。2006年には日吉记念馆と日吉会堂の2カ所で时间をずらして开催し、さらに商学部第1期生が卒业51年を迎えた2012年には出席者が约3900名に及び、食堂栋が3会场目として使用された。翌2013年からは日吉记念馆で午前と午后に分けての开催になり、再び二部构成スタイルの导入となった。
2009年、日吉记念馆建て替え计画が持ち上がったため、初めて塾外で开催された。会场はグランドプリンスホテル新高轮国际馆パミールで、开催にあたって品川駅からの案内?诱导のため职员?塾生が多数动员されている。结局、このときの日吉记念馆の建て替えは见直され、耐震补强工事のみを行ったため、翌年から2015年までは日吉キャンパスでの开催に戻っている。
塾员同士の亲睦に加えて记念事业やイベントも
2019年は日吉记念馆建て替え工事に伴い、卒业式、入学式ともパシフィコ横浜展示ホールで开催され、その后に卒业25年塾员招待会をヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルで、卒业50年塾员招待会を横浜ロイヤルパークホテルで开催した。
卒业25年を迎える塾员は、记念事业として学部を超えた同期の绊を深める大同窓会や后辈を支援する奨学金の寄付活动などを行っている。寄付をした塾员には“第2の卒业アルバム”となる记念誌が渡される。また、卒业50年を迎える塾员も大同窓会やさまざまなイベントを开催して大いに盛り上がるとともに、施设の整备を目的とする寄付活动を行っている。なお、その年の庆应连合叁田会大会へも招待され、塾长が出席する恳亲会が催されている。
塾员招待会をきっかけに多くの塾员が同期の仲间と再会し、新たな绊を结んできた。今后も时代と义塾の変迁とともに开催形态や会场などの见直しが行われるであろうが、义塾と塾员の绊を表す象徴的な行事として大切に受け継がれていくだろう。
この記事は、『塾』2019 SUMMER(No.303)の「ステンドグラス」に掲載したものです。