# 4
4年间のすべてを、4日间の儚さに捧げて
ー叁田祭の魔力と受け継がれる庆应文化
プロフィール
須藤 大喜(すとう だいき)
在学生/慶應義塾大学 法学部政治学科 4年(取材当時)役職:第67回三田祭実行委員会 委員長 秋田県出身。小中学校時代は野球、高校時代は弓道に打ち込みインターハイにも出場。慶應義塾大学入学後、體育會(体育会)と迷った末に三田祭実行委員会への入会を決意。2年生の冬の選挙を経て委員長に就任し、第67回三田祭の成功を牽引した。
3年の下积み。4年越しの覚悟。
第67回叁田祭、本当にお疲れ様でした。叁田祭のトップという重责を担われましたが、そもそも叁田祭実行委员会に入ろうと决めたきっかけは何だったのでしょうか?
せっかく慶應に入ったからには「慶應らしいことをしたい」という思いが根底にあって。実は體育會(体育会)に入るか迷っていたんです。高校時代は弓道でインターハイに行くくらい打ち込んでいたので。 ただ、学生という立場で挑戦できる最後の期間を何に捧げるべきか。その意味を深く考えた時、より慶應らしく、学生にしかできないことは「三田祭」だろうと。そう決めて、この世界に飛び込みました。今はこれまで感じたことのない達成感と、祭りが終わってしまった虚無感の両方に襲われています。心にぽっかり穴が開いたようで、それだけ僕の大学生活のすべてでしたね。
日本最大規模の学园祭を率いる委員長ですが、その役職に就くまではどのような道のりだったのでしょうか。
実は委员长が决まるのは「2年生の冬」なんです。先辈からの指名ではなく「同期だけの选挙」を行って选ばれます。そこから3年生までは「委员长补佐」として、次期委员长としての準备や后辈の育成を担当します。
2年生の时点で决まるというのは、かなり早くて惊きました。3年生の时は、次は自分が委员长だと分かった状态で补佐に就くのですね。
はい。3年生の时は、委员长补佐として50人の新入生の入会面谈を一人で行い、その后はその子たちのお世话係や教育係を主に担っていたので、来年への漠然とした不安に押しつぶされそうになったり「自分が200人の人生の一部を背负えるのか」と焦ったりすることが特に多かったなって思います。ただ、4年生になり委员长を务めてみると、良い意味でのギャップがありました。最初は「自分が引っ张らなければ」と気负っていましたが、実际にはむしろ「200人が后ろから支えてくれている」という実感の方が大きかったんです。何かつらいことがあっても、委员のみんなの笑颜や后ろからのバックアップに何度も救われました。
「互いを爱する叁田祭」。人に寄り添うリーダー像
叁田祭実行委员长になって、200人もの学生を束ねるのは容易ではなかったと思います。特に苦労された点はどこでしたか?
一番苦労したのは、やはり「人」への向き合い方です。三田祭実行委員会は学生団体なので「4年間続ける」ことが条件となっています。ですが、責任の重さに耐えかねて「辞めたい」と悩むメンバーもいます。そうした仲間にどう寄り添うか。 僕が好きで大切にしている言葉に「人それぞれ事情がある」というものがあります。みんな背景も抱えている事情も違う。だからこそ、無理に引き留めるのではなく、まずはその子の背景を肯定し、「一人ひとりを見ていますよ」と伝え続ける。委員長はすべての委員の味方でいられる唯一の存在だと思っていました。そこに時間をかけたからこそ、結果200人という形で終わることができました。
みんなを置いていかないという姿势が素敌です。委员のメンバーを楽しませるために他に何か工夫をされましたか?
実は今年「本祭テスト」という新しい取り组みを始めました。元々は委员の知识を底上げすることが目的だったんですが、ただ勉强させるだけじゃ面白くない。そこで、テスト结果に特典をつけるなどゲーム性を持たせて、楽しんでもらえるようにしたんです(笑)。
結局、お祭りって「運営している側」が一番楽しんでいないと、来場者を熱狂させることなんて絶対にできないと思うんです。だから、シフト組みにはこだわりました。 委員長として、準備期間を含めた7日間、200人分の全シフトを組んだのですが、Excelと睨み合いながら「この子にはこのシフトでドラマを作ろう」「ここで最高の思い出を作ってほしい」と、一人ひとりの顔を思い浮かべてパズルを埋めていく作業で。めちゃくちゃ大変でしたが、委員たちが生き生きと楽しんでいる姿を見ると、やってよかったなと思いましたね。
叁田祭が始まるまでも様々なことを乗り越えてこられたと思いますが、本番を通じて特に印象に残っていることを教えてください。
3年生までの期间で叁田祭に関わる中で、委员同士や、委员と団体の间にリスペクトや寄り添いが欠けていると感じていました。そこで今年は「互いを爱する叁田祭」をテーマに掲げ、利益ではなく人と人とのつながりを大切にしてきました。本番后、ある参加団体の代表の方から「须藤さんの掲げていた思いが伝わってきた。参加団体として関われて嬉しかった。」という旨の长文メッセージをいただきました。当たり前のように开催される叁田祭は决して当たり前ではない。その思いを共有でき、结果として「塾生としての结束」を强く感じられる叁田祭になったと思いました。目标としていたお互いを思いやる环境作りを达成できたのかなと思うと、すごく嬉しかったです。
「縦と横の强さ」。受け継がれる庆应の顿狈础
4年间の活动を通して见つけた「庆应らしさ」や「文化」について教えてください。
自信を持って言えるのは、「縦と横の関係性の强さ」です。庆应の文化は「人と人との繋がり」これに尽きるなと思います。まず「横」で言うと、同期との绊です。実行委员は1学年50人の少数精鋭。4年间苦楽を共にするので、话したことがない人なんていません。お互いを知り尽くしているからこそ、その代ごとの「色」が出せる。僕ら第67回ならではの色が出せたのも、この横のつながりがあったからです。
「縦」のつながりについてはいかがですか?
これには本当に惊かされたことがあって、何のアポイントもなく第30回やそれ以前の元実行委员の翱叠?翱骋がふらっと本部を访ねてくるんですよ。年齢でいうと60歳くらいの方が「私、十何回の委员なんだけど」って(笑)。差し入れをしてくれたり「写真撮っていい?」と一绪に记念撮影をしたり。何十年も変わらない母校爱や、后辈を思う情热に触れて、4年间捧げた爱や情热は残り続けるのだといい意味で鸟肌が立ちました。この縦のつながりがあるからこそ、叁田祭は続いてきたんだと実感しましたね。
それは驚きですね。 須藤さんも三田祭実行委員会での4年間の活動を通して慶應の文化に染まっていると感じました。そうさせた三田祭の力は何だと思いますか?
準備期間の長さに対して、本番は一瞬で過ぎ去ります。その儚さがまさに「三田祭の魔力」だと思います。三田キャンパスって普段はオフィス街にあるので落ち着いた雰囲気なんですが、祭りの期間だけは一変して非日常の賑わいを見せる。そのギャップがすごいんです。 そして1年間かけて準備しても、本番はたった4日間。終わった後の後夜祭から数時間もすればテントも撤去されて、まるで夢だったかのように元のキャンパスに戻る。自分が感動してからそれが消えるまでのスピード感。その「儚さ」があるからこそ、僕たちはその一瞬にすべてを賭けるし、そこに人が惹きつけられるのだと思います。
须藤さんが次世代に一番伝えたい「叁田祭の核」とは何でしょうか?
「塾生主体」というポリシーを守り抜くことですね。なぜこれほどまでに塾生主体にこだわるのか。それは、塾生のパフォーマンスや研究が、それだけで世間を感動させられるレベルにあるからだと思います。 塾生だけで来場者に感動を届けることは、三田祭ならではだと思います。だからこそ、常に「塾生が主役であること」を第一の基準にしてほしい。外部の要素に頼るのではなく、塾生の輝きや情熱をダイレクトに伝える、この軸だけは、後輩たちに守り続けてほしいですね。
「夸らしく、僕ららしく」。未来の塾生たちへ
最后に、记事を読んでいる学生や、未来の庆应生へメッセージをお愿いします。
今年のキャッチコピーは「誇らしく、僕ららしく」でした。 「誇らしく」というのは、慶應義塾の一員であるという自覚や誇りを持つこと。そして「僕ららしく」というのは、その誇りを持ちながらひとつにまとまることを楽しむことです。この大学で学べること、この仲間と出会えたことは決して当たり前ではありません。奇跡のような確率でここにいる。だからこそ「塾生であること」に感謝し、「塾生であること」の意味を考え続けてほしいと思います。
また、三田祭は「奇跡の連鎖」です。参加団体の努力、来場者との出会い、運営の裏側、すべてが重なり合って生まれる非日常の空間。そこにスポットライトを当てることが僕たちの使命でした。 僕自身、三田祭実行委員会として活動してきた4年間で考え方が大きく変わりました。人と出会い、多様な価値観に触れることで、自分の世界が広がった。もし今、何かに迷っているなら、ぜひこの「奇跡の連鎖」に飛び込んでみてください。慶應義塾には、その情熱を受け止めてくれる仲間と環境が揃っています。