执笔者プロフィール

新沢 典子(しんざわ のりこ)
文学部 教授専門分野/ 国文学

新沢 典子(しんざわ のりこ)
文学部 教授専門分野/ 国文学
奈良の事情に详しい古代日本文学研究者によると、今秋の奈良市は大仏开眼以来の賑わいだそうだ。
大阪?関西万博闭幕直后という事情も関係していようが、何より今年は、明治8(1875)年に东大寺大仏殿で开かれた第1回奈良博覧会から150年目にあたる节目の年なのである。
东大寺の境内は実に国际色豊かで、使用言语の异なる人々が入り乱れている。8世纪中叶までの歌を収める『万叶集』という和歌集には、「韩」や「百済」に掛かる「ことさへく」という枕词が见える。不明な言叶をかまびすしく话すという意味の语であり、ヒアリング不能な言叶をうるさく感じてしまうのは古も今も変わらないようだ。
人波の向こうに大仏殿を见上げつつ、「华やかな衣の色が一面に地を埋めて、东大寺の伽蓝はこの色の海に浮いていた」(和辻哲郎『古寺巡礼』)といわれる大仏开眼会の热狂にしばし思いを驰せてみる。
天平胜宝4(752)年4月9日、东大寺庐舎那仏(るしゃなぶつ)の开眼会が盛大に行われ、渡来僧である菩提僊那(ぼだいせんな)が导师となり、巨大な笔と墨を使って大仏の眼を点じた。开眼により庐舎那仏は见える世界を仏法によって支配する存在になるのだという(栄原永远男「大仏开眼会の构造とその政治的意义」)。
法会(ほうえ)では、雅楽寮と诸寺の音楽及び王臣诸氏の伝える日本古来また外来の歌儛が披露、奉纳された。『続日本纪』にはその様子が「作(な)すことの奇しく伟(たふと)きこと胜(あ)げて记すべからず。仏法东に帰りてより、斎会(さいえ)の仪、尝(かつ)て此の如く盛りなるは有らず」と笔録者の感动溢れんばかりに记されている。
正仓院宝物の中には、この时に使用されたと伝わる特大の笔と、その际、笔に结び付けられたという縹(はなだ)色の捻糸(缕(る))が残る。人々は笔から伸びた缕を各々手に取って大仏に祈りを捧げたのだという。
その巨大な笔と缕を展示した正仓院展もかなりの混みようで、展示ケースを背中越しに覗き込むしかないのだけれど、ひとたび実物を目にすれば、自分のことを棚に上げて「うるさい」「人が多すぎる」と託っていた先ほど来の気分も吹き飞んで、共に缕を目にする人たちと连なって大仏に导かれているような不思议な心地になるのであった。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです