执笔者プロフィール

瑞庆山 広大(ずけやま こうだい)
その他 : 九州産業大学地域共創学部講師塾员 専门分野/宪法

瑞庆山 広大(ずけやま こうだい)
その他 : 九州産業大学地域共創学部講師塾员 専门分野/宪法
私の所属は法学部ではない。当然、学生も法学だけを学びに来てはいない。そんな学部の1年生向けに法学の入门讲义を担当している。讲义内容の中には六法(法令集)の読み方を含めており、基础から丁寧に教えているつもりだ。「各条の中にある算用数字の部分は『项』、汉数字の部分は『号』です」「条文中に『ただし、』が登场したら、その前の部分を『本文』、それ以降を『ただし书き』と呼びます」云々。よし、これで本格的な法律科目を履修しても困ることはなかろう。そう思って六法持込可能の期末试験で问う──「民法〇条〇项本文を引用しなさい。」が、相当に出来が良くない。「本文」と闻くと日常的にそこの文章すべてと思ってしまうようだ。学生の勉强不足と简単に片付けて良いものだろうか。
振り返ると私は法学部生の顷に条文の読み方など教わったことはない。いつの间に読めるようになったのか。思うに、六法の読み方は知识として习得するのではなく、技术として习熟することが大切である。再び振り返ると、学部时代の先生方の多くは自ら六法を开き、参照すべき条文を示し、しばしば音読されていた。未熟者の私は必要ならレジュメに引用しておけばいいのにと感じていたが、あれは学生に寄り添って条文の読み方を教えてくれていたのだ。実际、私はそうやって条文が自然と読めるようになった。知识ではなく技术を伝えるには繰返し作业が効果的である。であれば、教员となった私に必要なのは、面倒がる学生を横目に、それでも六法の読み方を実践してみせる授业なのだろう。
大学で学ぶ専门性の一端はこうした技术や言叶遣いへの感性に宿るように思う。それは卒业后に専门から离れた环境にいても、自転车の乗り方のごとく忘れがたい。真面な法学徒であれば、裁判の「判决」と「决定」の违いに意を払うし、「民事诉讼の被告人」というフレーズに违和感を覚えずにはいられない。
他方、技术や感性は部外者からは见えづらい。とりわけ、専门性がますます分化し、研究がグローバル化した现在では、学问分野间の対话障壁は高くなっている。非法学部で法学の教鞭をとることの効用の1つは、法学で当然视されている技术や感性を否応なく可视化できることである。非法学部という环境から法学者が学ぶことは少なくない。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。