午夜剧场

慶應義塾

西校舎エントランスの敷石──福泽山の鉄平石

公开日:2026.06.30

庆应义塾大学叁田キャンパス西校舎入口は「福泽山エントランス」と命名され、実は特别な石が敷き詰められている。この石は「鉄平石」と呼ばれるもので、长野県諏访市福泽山产の辉石安山岩(きせきあんざんがん)である。この敷石は、商学部教授(后に名誉教授)であった藤森叁男(ふじもりみつお)の寄赠により、福泽諭吉没后100年を记念して2000年2月3日に整备された。当时、西校舎入口は雨天时には水溜りができ、通行に不便が生じていた。藤森の実家は、諏访の地において良质な鉄平石を加工する事业を长年続けており、いわばこの石材は藤森家の家业そのものであった。藤森は、一説に福泽家のルーツとされる諏访の土地のこの石材を叁田の地に敷き詰めることで、创立者と信州の縁を形として后世に残したのである。

福泽家の発祥地にまつわる伝承は复数あり、諏访市のほか茅野市などにも名のりをあげている土地があるという。现状ではどこが本当に先祖の地なのかは解明できていないが、その1つである諏访市の福泽山周辺は「福泽氏先祖発祥の地」としてかねてより时折注目されてきた。一説には、戦国时代の鸟居峠の合戦で败れ、その后行方不明となった福泽善徳が福泽家の祖先であるとする推论が存在する。

この説は、地元諏访の郷土史家や研究者の间でも长く议论され、系図や歴史资料と照らし合わせる形で『信州福泽考』と题する小册子も编まれた経纬がある。麻布の善福寺にある福泽諭吉の墓碑铭には、福泽家のルーツが信州にある旨が刻まれており、信州と福泽家との繋がりを记録の1つとして里付けている。

地元の新闻が社説で「諭吉の先祖の地」として取り上げるなど、地域住民にとってこの地は特别な夸りであり、福泽家との寄赠や交流といった亲密な繋がりも确认されているという。歴史的事実としては伝説の域を出ない部分も多いが、地元が抱く矜持と藤森の受け止めが重なり合うことで、「福泽山エントランス」が整备されたのだ。新たな敷石の引き渡しに际して当时の庆应义塾常任理事高桥润二郎は「大学キャンパスには伝説が必要である」と述べたという。

今年2026年は、福泽諭吉の没后125年にあたり、福泽諭吉记念庆应义塾史展示馆では6月18日から企画展が予定されている。

西校舎の足元で、信州諏访から运ばれた鉄平石は、単なる敷石としてのみならず、日々なにげなくこの场所を行き交う学生、教职员や塾员の足元を支えている。

この机会に石の由来に目を向け、庆应义塾の歴史の奥行きと伝説が息づくキャンパスの豊かな风土を再认识するきっかけになれば幸いである。

(広报室)

※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。