三田キャンパス西門を出て中等部を右に曲がっていくと、右側に纲町グラウンドがある。現在はグラウンドと空手道場、テニスコート、綱町武道館などがあり、主に中等部や体育会が使用している。また南西の隅には心理学専攻の動物実験棟と飼育棟が建っている。
纲町は平安时代中期の武将?渡辺纲の出生地と伝承され、オーストラリア大使馆の敷地には纲が产汤をつかったとされる井戸がある。町域は広く、西门前の纲坂の向こう侧から古川に迫り、南は现女子高等学校の区域までで明治5(1872)年に叁田纲町と町名をつけられた。
福泽諭吉は新銭座时代から运动を奨励しており、明治25(1892)年、いち早く义塾に体育会が组织され、叁田山上の稲荷山付近で陆上运动会も毎年开かれていた。しかし、校舎の建筑などで手狭になってきたため、明治36(1903)年、纲町の蜂须贺家所有地を购入して纲町运动场が设けられた。柔道部、剣道部、弓术部の道场が次々竣工し、恒例の陆上运动会もこちらで开催されるようになった。同年、第1回早庆野球戦がここで行われたことは知られており、记念碑も建てられている。その后2回にわたり土地が买い足されて、総合运动场として着々と整备されていった。
昭和5(1930)年、25尘×13尘の総タイル贴り、水深4尘?2尘?1尘の3部分に分かれた、横から水中を见られる水中窓付きプールが竣工、6月に开场式と塾内水泳大会が开催された。このプールはそれまで塾外の施设を使用せざるをえなかった水泳部の练习场としてだけでなく、プール维持费50銭を纳めると水泳部の练习时间(12时半から16时半)をのぞき、一般塾生も利用できた。
日吉キャンパス開設後、グラウンドやプール、様々な運動施設が整備されると、纲町グラウンドとの住み分けも進んでいった。さらに昭和37(1962)年には、明治19(1886)年以来続いていた慶應義塾運動会が中止となった。三田山上、綱町、荏原運動場から日吉グラウンドと場所を移して続けてきたものであった。ちなみに、使用されなくなって久しかったプールは平成26(2014)年に解体された。
纲町というと、纲町校舎、纲町研究室も思い浮かぶ。大正5(1916)年に纲町2番地に移転が决まり着工された普通部纲町校舎は、昭和20(1945)年に戦灾で焼失、その后その地には中等部が开校している。また、昭和15(1940)年、开设の纲町研究室(文学部心理学研究室、法学部法律鑑定部等)はその前年に徳川达孝邸を购入して设置され、昭和18(1943)年には亜细亜研究所(所长は小泉信叁塾长)がそこに新设された。しかし戦灾で大半を焼失し、廃止、その后その场所に女子高等学校が开设された。
(元広报室长 石黒敦子)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。