画像:3年ぶりに多くの来場者で賑わった第64回叁田祭(2022年)
毎年11月に三田キャンパスで開催される叁田祭は1959年を初回と数え、すでに60回を越して多くの来場者を三田の山に迎えている。
学园祭としての端緒は1951年の文連祭まで遡ることができる。学術研究団体連盟と文化団体連盟が合同で開催したものだった。実はその2年前の49年、新制大学が発足、4号館(のちの第3校舎)が竣工し、図書館も大改修を終えて復興祭が開催された。それを契機に学园祭「叁田祭」が準備されたが、予算上の問題で中止となっていた。53年には全塾自治委員会を中心に塾内の各団体が参加した充実した大学祭が行われた。そして58年、慶應義塾創立百年の節目の年には記念式典の一環で、幼稚舎、中等部、普通部の一贯教育校も含めた全塾での学园祭「百年祭=創立百年記念慶應義塾祭」が日吉キャンパスで実施された。
現在に続く叁田祭はその翌年、叁田祭実行委員会の組織の下、開催され始めた。開催期間は4日間で今も人気の福引企画も実施された。当時は中庭の模擬店はなく、ゼミナールの発表の場の色彩が強かったが、講演会や音楽サークルによる演奏会も行われた。10万人を超える来場者があったという。義塾からの資金支援を受けず、塾生主体で開催するという理念を守るため、実行委員会は広告や寄付集めに企業協賛を募り、参加団体に還元する体制を確立していった。60年代には前夜祭でダンスパーティーを開催してチケット収入も獲得した。その60年代は学生運動が活発な時代で、叁田祭では全国の大学から学生を招待して大学や学生に関する諸問題を討論し合う学生招待会議が毎年実施され、あるべき学生運動を追究する姿勢を続けた。過激派学生の乱入などで学园祭中止を余儀なくされた他大学があるなか、叁田祭は開催し続けた。75年からは福引の商品に車が登場、正門前ロータリーに飾られた風景を記憶する人も多いだろう。95年には他大学に先駆けて環境対策を開始、以後ゴミの分別収集が行われている。叁田祭実行委員会は組織の改編を重ね、時代に合わせた企画や運営を担ってきた。
长い歴史のなか、日吉开催となった年が2回ある。いずれも叁田キャンパスが工事中のためで、61年(学生ホールの移筑、図书馆书库増设等)、67年(研究室栋建设)のことだった。2020年には新型コロナの流行のため无観客オンライン开催となったが、翌年は感染拡大防止策を讲じて开催し、初回开催以来休むことなく开催は継続されている。
いつの頃からか、三田の大銀杏が黄色に染まると叁田祭となり、叁田祭が終わって、すっかり葉が落ちると教職員のボーナスが支給されると言い伝えられている。近年は温暖化のせいかこの言い伝えとは少しずれが生じている。
(元広报室长 石黒敦子)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。