画像:キリスト教青年会馆外観(现在)
日吉キャンパスの高等学校グラウンドの片隅に、「キリスト教青年会馆」と呼ばれている小さな建物が、树木に囲われ、ひっそりと佇んでいる。
この建物は、日吉キャンパスが开校(1934年)して间もない、1937(昭和12)年文化団体连盟の庆应义塾基督教青年会(以下「青年会」という)翱叠である里见纯吉を中心に募金活动が行われて建てられ、义塾に寄赠されたものだ。建设当时から现在まで青年会の拠点として利用されている。青年会は1898年に设立された、古参の会である。里见纯吉は青年会の创立者の一人で、庆应义塾理财科を卒业し、后に大丸の社长となり、驰惭颁础の各种役员や、多くの教育机関でも役员を务めた人物である。
この建物は、木造、平屋建て、90㎡程度の小さな建物だ。外壁は白い吹付モルタル仕上げ、屋根は赤い钢板で、特徴的なのは尖塔があり、その先に木製のシンプルな十字架が置かれている。建物の中は讲堂と教坛があるだけだ。2012(平成24)年10月、横浜市の「横浜市登録歴史的建造物」として登録されている。戦后、日本が米军に接収された时は、米军がチャペルとして使用したと言われている。
小さい建物であるが、设计者はウィリアム?メレル?ヴォーリズである。アメリカ出身の宣教师であり、実业家であり、建筑家でもあった。大正から昭和にかけて多くの建物の设计を行い、教会、学校、住宅、オフィスなど幅広く、日本における西洋建筑では有名な人物だ。特に関西圏を中心に现在も多くの作品が残っており、ヴォーリズが手掛けた建物の多くは登録文化财や重要文化财になっている。また、薬のメンソレータムの输入业を行い、现在の近江兄弟社グループを立ち上げ、病院や学校を设立し、福祉?教育活动にも精力的に取り组み、多岐にわたり活动を行った。日本に帰化し、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名し、戦时も日本に残り、生涯を日本で过ごしている。
庆应义塾が保有する、ヴォーリズの建物はこの一件のみである。
里美纯吉は建物计画时に、「鐘」を取り付けることを企図し、わざわざ製造した鐘を日吉に赠っている。戦时の影响もあり、その鐘は表に出ることはなく、50年后の1989年に発见されることとなる。建物に取り付けることは、构造的に难しいこともあり、现在その鐘は、翱叠の寄付により御殿场にある国际青少年センター驰惭颁础东山荘の敷地内に鐘楼が建てられ、そこに取り付けられている。キリスト教青年会馆は小さな建物であるが、庆应のようなミッション系でない大学内にこのような集会の场所を构えることは、青年会设立者たちの悲愿だったのだろう。日吉キャンパスの歴史を今に伝える、贵重な遗构となる建物である。
(管财部 渡辺 浩史)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。