画像:第6代艇库(昭和48年の落成式)
庆应义塾体育会端艇部は明治22年に创部し本年で133年となる。この间、数多くのオリンピック出漕や全日本选手権优胜を果たしたが、この活跃を支えたのが「艇库」「合宿所」である。现在、竞漕艇を格纳する艇库には1千万円する输入エイト艇を始め数十艇が保管されている。最初の塾艇库は明治31年建设の芝浦艇库で、第2と第3の艇库は当时のボートのメッカである隅田川に建设された。予科の日吉移転に伴い昭和15年、多摩川堤防を贯く形でつくられた第4の多摩川艇库は昭和19年の空袭で焼失。その间、「1940年东京五轮」用に戸田に世界初の人工ボートコースとして昭和15年に戸田ボートコースが竣工された际、同年に塾は戸田コースの用地720坪を取得している。
多摩川艇库焼失后は隅田川にて他大学から艇とオールを借りて活动していたが、戸田に艇库建设を计画。昭和24年に木造2阶建ての瀟洒な第5代の合宿所と艇库が完成した。东宫御所や幼稚舎本馆を设计した谷口吉郎氏の作品である。
ボート竞技は究极のチームスポーツで、一糸乱れぬユニフォミティを醸成するため长期合宿用の合宿所の併设が欠かせない。この第5代艇库と合宿所が塾端艇部の黄金时代を筑いたが、艇の収纳能力は10艇程度で合宿所も一戸建住宅程度のスペースで20名ほどの収容。冷暖房もシャワーも収纳もなく1人1畳分のスペースに生活する浓密さであった。木造建屋の窓からは隙间风が入り、冬の朝には布団に雪が积もり、梅雨时には畳にキノコが生える等、老朽化もあったため、昭和48年に鉄筋コンクリート造2阶建ての第6代の艇库が完成した。
しかし、この艇库も构造上真夏は40℃になるなど选手のコンディショニング上、问题があった。平成元年「端艇部创立百周年」を迎え、记念事业として新艇库建设を计画し募金事业を実施、艇の収纳能力と合宿生活の快适性を第一となるよう充分に时间を掛けて设计し、50年以上使用可能な构造で设备の整った、第7代艇库が平成5年に竣工した。现在の艇库は鉄骨造で1阶が艇库、2阶が合宿スペースとなっている。これまでの3倍の艇収纳で、合宿所は80名以上の収容が可能。冷暖房完备で屋内トレーニング室、大型の2段ベッド、広い自炊用キッチン、温水シャワー付き大浴场等が备えられている。
以前の艇庫に比較して誠に贅沢かつ快適な艇庫が完成し、部員達も丁寧に使用している。完成から早や30年近くが経過したが、さらに50年は使用し、塾とOBの浄財と協力で完成した戸田艇库で部員諸君が「気品の泉源?智徳の模範」をしっかりと身に付け、社会に役立つ立派な人間に成長してくれるものと確信している。
(叁田漕艇倶楽部会长 平冈英介)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。