画像:総合医科学研究栋1阶ラウンジの福泽と北里の肖像画
信浓町キャンパスは、大正6(1917)年庆应义塾大学部医学科创设により诞生し、叁田キャンパスに次いでできたキャンパスである(开校?病院开院は大正9(1920)年)。
初代学部长(大正9年より学部となる)は北里柴叁郎で、初代病院长も兼任し、大正6年から昭和3(1928)年までの10年间、医学部长を务め、昭和6(1931)年78歳で逝去した。
北里柴叁郎が医学科创设に当たって学科长を引き受けたとき、すでに世界的にも名が通っていた人物であった。自身で北里研究所も持っており、当时日本医师会初代会长として、多忙の中で、学科长の任を引き受けている。既に福泽諭吉は亡くなっており、北里柴叁郎は福泽諭吉の门下ではないが、由縁により福泽を恩人とし、その恩に报いるべく、医学科を设置するに当たり尽力する覚悟を述べている。北里は、教授阵を当时国内で一线级の人物で揃え、庆应义塾大学医学部の発展にもたらした功绩は多大なものである。
信浓町キャンパスにおいて、北里柴叁郎の足跡を辿るとすると、代表的なものは、北里记念医学図书馆である。北里が没して3年后の昭和9年、「医学図书馆建设会」が発足し募金を开始、昭和12年に竣工した。建设会(会长山本达雄)が主导して建物の建设までを行い、昭和19年义塾に寄付する形をとっている。建物名は、建设会との覚书に「北里博士记念医学図书馆の名は永久に保存すること」とされている。
北里记念医学図书馆は现在も図书馆として利用され、地下1阶、地上2阶で、正面向かって左侧は4层の书库となっており、43万册の図书が所蔵されている。2阶にはあまり大きくはないが讲堂(北里讲堂)が设けられ、多くの式典に活用されている。正面玄関に北里柴叁郎の胸像(吉田叁郎作)があり、これも建设会の寄付によるものだ。2阶第1会议室には、これまでの歴代医学部长の肖像画?写真が23枚饰られており、その正面に、福泽諭吉と并んで北里柴叁郎(宇野一洋作)の肖像画が饰られている。
信浓町キャンパスは昭和20(1945)年の戦灾により、施设の60%が焼失しており、现在、戦前から残る建物はこの図书馆と予防医学校舎の2つのみで、戦前を伝える建物が非常に少ない。北里记念医学図书馆は戦前からの歴史を伝える、贵重な建物である。
また、総合医科学研究栋1阶ラウンジに福泽諭吉と北里柴叁郎の肖像画を陶板に印刷を施したものがある。それは2001年竣工记念品として寄赠を受けたものだ。2人向き合って座って、谈笑しているようでもあり、ラウンジにいる人に语り掛けているようでもあり、我々を见守っているようでもある。
(管财部 渡辺 浩史)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。