画像:戦灾に遭った大讲堂(福泽研究センター蔵)
叁田キャンパスの现在の西校舎の场所には、その昔「大讲堂」と呼ばれる建物があった。1922年、アインシュタイン博士が讲演を行ったことでも有名で、今でいう文化ホールのような建物である。
この大讲堂は、今から约100年前、1915(大正4)年竣工、曾禰中条建设事务所の设计による、ゴシック様式、鉄骨レンガ造の建物である。2000人収容で、外観は瀟洒で华丽な建物であり、当时、図书馆旧馆と同じく叁田キャンパスにおけるシンボル的な建物であった。残念ながら、大讲堂は、1945(昭和20)年戦灾による甚大な被害にあい、屋根が吹き飞び、柱と外壁しか残っていないような状况となった。终戦后しばらく放置されていたが、1957(昭和32)年に取り壊されている。
1945年の戦灾によって同じように被害を受けた図书馆旧馆は、復兴されたのに対して、なぜ大讲堂は取り壊されてしまったのか。
管财部仓库には、1947(昭和22)年から1953(昭和28)年に描かれた、3种类の大讲堂の復兴计画の図面が残っている。
1つ目は、1947(昭和22)年に安藤组(现安藤?间)により描かれている。元の建物の残っている柱や外壁を再利用し、従来の姿を忠実に再现し、復兴する计画であった。2つ目は1950(昭和25)年斎藤诚二事务所により描かれたもので、外観イメージを残しつつ尖塔を设けるなど大胆な変更も施してある。3つ目は1953(昭和28)年に同じく、斎藤诚二事务所で描かれ、一旦解体し、そこにさらに大规模な3000人収容规模の讲堂に建て替える计画である。外観は元の大讲堂の玄関のみを再利用し、それ以外は大幅に変更したものとなっている。
ただ、この顷になると1958(昭和33)年の庆应义塾创立百年事业の计画が徐々に进められることとなった时期と重なる。结局、これら再建计画はすべて白纸となり、叁菱地所による设计で、西校舎建设の计画が立てられた。
西校舎は、大小の教室数が24室あり、その他、食堂や课外活动室も备えるものである。大学の発展において、建物の大型化、教室数の确保が命题となり、百年事业では大学机能强化を目的として计画された。そのため、叁田大讲堂は役割を终え、再建することなく、解体されることとなった。実质30年ほどしか使われず、その短い役割を终えている。
もし、この大讲堂が今でも残っていたならば、図书馆旧馆と同じく、重要文化财となっていたかもしれない。大讲堂の屋上に饰られていたユニコン像は、现在中等部の玄関に置かれており、大讲堂の存在を伝える唯一の遗构となっている。
(管财部 渡辺 浩史)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。