午夜剧场

慶應義塾

庆应义塾大学病院の最寄り駅

公开日:2018.04.04

画像:无名桥(大番町跨线桥)。右が信浓町キャンパス2号馆、左が3号馆(南栋)

庆应义塾大学病院(以下、庆应病院)は闯搁中央线?総武缓行线の信浓町駅前にある。もちろんこれが一番のアクセスルートであるが、21世纪になって、新しい最寄り駅ができた。2002年、都営地下鉄大江戸线の开通によりオープンした国立竞技场駅である。しかし、この最寄り駅はあまり知られていない。

国立竞技场駅の改札を出て左へ进み、长いエスカレーターを乗り継ぐと地上出入口(础1)に到达する。そこはもう病院のすぐ里手という近さである。ここには有料驻车场と首都高速4号线の入口がある。その间を抜けると闯搁の复々线を跨ぐ歩行者専用の桥があり、それを渡ると病院2号馆と3号馆の间の道に出る。病院のウェブサイトに记载されている所要时间は徒歩约5分である。

この有料驻车场内には、不思议な雰囲気の建物がある。ちゃんぽん店の「水明亭」。営业は平日の11时から14时のみ。狈贬碍の人気番组「ブラタモリ」で绍介されて有名になったが、1阶部分は昭和初期に明治神宫外苑の休憩所として建てられたもの。戦后、「水明亭」として1962年に创业。庆应病院教职员の食事処としても賑わい、1964年の东京オリンピック时には水泳日本代表が食事をしたというエピソードも残っている。

闯搁を跨ぐ歩行者専用の桥も不思议な构造になっている。外苑侧は首都高の桥桁に遮られて半分以上が途切れて细くなり、车は通行できない。かなり古い桥であることはすぐにわかるが、いったいこの桥は何のために作られたのだろうか。歴史を纽解いてみよう。

明治时代の日清戦争の际、陆军は东日本の军队を训练する目的で现在の外苑部分に青山练兵场を作った。中央线の前身である当时の甲武鉄道は、陆军の依頼もあって新宿から先の都心路线の建设を南侧へ寄せて练兵场への输送も担うことになり、千駄ヶ谷から军用引きこみ线も作られた。そして庆应病院のある场所には、部队の驻屯地と兵器?砲弾?弾薬などを扱う仓库が置かれた。ここから兵队と物资を输送するために线路を跨ぐ桥が3本作られ、今も1本だけ残っているのがこの「大番町跨线桥」だったのである。

明治天皇の崩御后、练兵场は葬场殿となり、その后、明治天皇と昭宪皇太后を祀る明治神宫が造営された。兵営と弾薬库の跡地は庆应义塾に払い下げられ、医学部と大学病院が建设されたのである。

大江戸线の开通は、庆应义塾の教职员にも福音をもたらした。叁田と信浓町间の移动は、代々木か秋叶原で乗り换えるか、渋滞に巻き込まれるバスを使うなど、1时间近くかかっていた。それが叁田キャンパスの北侧に大江戸线の赤羽桥駅が开设され、国立竞技场駅との间はわずか9分で结ばれたのである。

(编集部)

※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。