午夜剧场

慶應義塾

庆应稲荷社

公开日:2017.05.05

慶應義塾信濃町キャンパス東校舎の東側に、小さな社(やしろ)、「庆应稲荷社」があるのはご存知でしょうか。

庆应义塾の各キャンパスの中では、神仏?宗教にまつわるものは少なく、このような社が安置されているのは、珍しいものです。

由来によりますと、信浓町の开设后、大正11年の顷、医学部の○○长と名のつく人々が次々に死んだり、夜な夜な当直の人の梦枕に神獣が现れなにかしら诉える等の度重なる异変が起こり、人心が动揺してきました。思案の末、浅草のさる占い师に相谈したところ、「池のほとり(新教育研究栋北侧辺り)に世に出たがっている神様があるから祭ってあげなさい」と御宣託があり、半信半疑のうちに掘り起こしたところ、祠のかけらや水盘など、由縁の品々が出现しました。そこで有志により现在の地に社を建て寄进したところそれからは异変もなくなり、一同安堵したとされています。

信浓町キャンパスの场所は、江戸时代は屋敷が立ち并んでおり、残念ながらその年代の状况は详らかでないのですが、水盘には嘉永5(1852)年とあり、当时の屋敷の中にあった、社が朽ち果てたものと推察されます。明治に入ると、陆军の练兵所になり、大正6年に陆军から庆应义塾に払い下げられ、现在に至ります。

庆应稲荷社が建てられた後、毎年初午(はつうま)の祭を催し、昔は近隣住民も交えて、大々的に祭っていたようです。いまは1年に1回3月に神主さんを呼んで、ひっそりと慶應義塾の安全祈願を行っています。

社は第2次大戦の折に全焼し、昭和28年に再建され、さらに昭和38年に有志による寄付で今の社が建てられました。鸟居は昭和54年に木製の鸟居が朽ち果てたため再建されています。

昭和59年の病院ニュース24号によると、当时、予算の都合で鸟居の再建が难航し、职员が比较的安い鉄パイプの材料を买ってきて、製作したそうです。

この时、この职员のお子さんが危険な心臓の手术を受けることになっておりましたが、手术は无事成功しました。鸟居には稲荷大明神の効験とお父さんの爱情が込められています、との记载があります。

庆应稲荷社は、あまり目立つ場所に建っていませんが、定期的に拝んでいる人や、受験生らしき人、入院患者さんが拝んでいるのを見かけることがあります。

信濃町キャンパスに医学部ができて100年が経とうとしていますが、庆应稲荷社も形を変えながらほぼ同じ時を過ごしています。これからも、ひっそりとたたずみ、慶應義塾を見守り続けてほしいと、願っています。

(管财部工务担当主任 渡辺浩史)

※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。