キャンパスの東北側に立つ地上3階、地下2階の北馆は、平成6(1994)年3月に竣工した。当時は北新館と呼称された建物は、三田キャンパスの久しぶりの新しい建築物だった。この建設計画のため、平成3年秋に学生ホール(山食)と、通路をはさんで向かいあっていた木造平屋の保健管理センター、2階建ての通信教育部とその裏の心理学動物実験室が取り壊された。その跡地および研究室棟の裏手の半面のテニスコートの場所を含めたスペースに、北馆は建設された。
240席を有し、3カ国語対応の同時通訳ユニットや100インチのプロジェクターにグランドピアノを備えた北馆ホール、国際会議も行える会議室、パレスホテルが運営するファカルティクラブ(教職員食堂)、学生食堂カフェテリア等、いずれも三田にほしいと切望されていた施設が設けられた。その他、広報室、渉外室、通信教育部等の事務室が入り、三田キャンパスの風景は大きく変貌した感があった。北側のイタリア大使館方面への動線のイメージが変わったことが大きいが、もう1つ理由がある。西校舎建設時に、移転された歴史ある学生ホールの取り壊しにより、戦後の三田のイメージを形づくっていた谷口吉郎設計の建築物がいよいよ第2研究室のみになったということもあった。
また、保健管理センターなどの小ぶりな木造の建物がなくなったこともキャンパスの风貌が変わったと感じられた。当时の「叁田评论」には「ビル全体がちょっと高级なイメージ」と评されている。同年6月には、开馆记念企画としてアートセンター主催の吉増刚造君と荒木経惟氏による「诗をめぐるコラボレーション」が催された。
ファカルティクラブの窓の外はイタリア大使馆の庭の木々が目にやさしく、ランチの时刻は教职员でにぎわい、夕刻は叁田会などの立食パーティも频繁に开催される。またホール、会议室、ファカルティクラブを使用して、シンポジウム等の会场、控え室、レセプション会场と利便性が高まった。ホワイエにはピクチャーレールも备えられ、展示も可能となり、さらに充実したイベント开催ができるようにもなっている。エントランスの脇には保健管理センターが设けられ、健康诊断の季节には行列ができる。
北新馆の「新」の字が取れたのは2000年のこと。新研究室栋も研究室栋と称するように「新」というのは止めようということになったのだが、确か东馆の建设に伴ってのことだったと记忆している。いま义塾には「新」と名のつく建物はなくなっている。ちなみに地上3阶と书いたが、建筑当初は北门に接する阶を1阶とし、地上4阶と称していた。
(広报室 石黒敦子)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。