执笔者プロフィール

西村 秀树(にしむら ひでき)
その他 : 同志社大学ジャーナリズム?メディア?アーカイブス研究センター研究員塾员

西村 秀树(にしむら ひでき)
その他 : 同志社大学ジャーナリズム?メディア?アーカイブス研究センター研究員塾员
スパイと闻いて、何を思い浮かべますか。英国の谍报部员、007=ジェームズ?ボンドでしょうか。あるいは、戦前の日本で活动した、ソ连のスパイ=リヒャルト?ゾルゲでしょうか。本书は、今から半世纪前、韩国に留学中、韩国政府から「北(朝鲜)のスパイ」容疑で拘束され死刑判决が确定した在日コリアン3人を轴に、朝鲜と日本の近现代史を描いたノンフィクションです。
なぜ在日コリアンだったのか。朝鲜人の多住地域では狭い地域に朝鲜総连系と民団系の人びとがいっしょに暮らす。在日の留学生たちにとって朝鲜総连の人たちとの接点は日常的だった。だから、韩国政府が在日の留学生の「スパイ容疑」を捏造するのは容易だった。当局の苛烈な拷问の末、留学生たちは「自白」した。
なぜ1970年代、「スパイ」事件が频発したのか。きっかけはベトナム统一だった。1975年春、北ベトナム军がベトナムの武力统一を成し遂げた。韩国の朴正煕大统领は危机感を强め、スパイ事件を検挙频発して韩国国内の引き缔めを図った。
分断の生贄。第二次世界大戦の末期、连合国はポツダム宣言を日本に突きつけた(1945年7月26日)。日本の政治指导部は天皇制の存続をめぐって逡巡し、结局、ポツダム宣言を受诺したのが8月14日。
その3週间に何が起きたか。8月6日、米军が広岛に原爆投下。8月9日、ソ连军は満蒙国境を越え、朝鲜の北半分を占领。同じ9日米军が长崎に原爆を投下。
朝鲜分断は米ソに大きな责任があるが、日本の责任も小さくない。そうした朝鲜分断を背景に、朴正煕政権は政権延命の生贄に在日コリアンの留学生たちを选んだ。
民主化が死刑囚の生还を促した。1987年韩国では民主化が宣言され、捏造された「北のスパイ」たちは釈放され、再审で无罪を胜ち得た。
后半では民主化后の韩国の実情を描いたが、日本では袴田事件でわかるように刑事诉讼法は大正时代のまま。一方でスパイ防止法が政治过程に上る。スパイは、容易に「捏造」できることを韩国の事例は示している。
スパイにされた青年たちの多くは笔者と同世代、彼らの苛烈な青春を多くの人に知ってもらいたい。
西村 秀树
叁一书房
248页、2,420円〈税込〉
※所属?职名等は当时のものです。