执笔者プロフィール

岩间 一弘(いわま かずひろ)
文学部 教授
岩间 一弘(いわま かずひろ)
文学部 教授
日本の西洋料理が明治期の文明开化から広まったのだとしたら、中华料理は20世纪前半の日本帝国の拡大とともに広まったといえるのか。また中华料理は、日本人にとって外国料理であるにもかかわらず、懐かしいと感じることがあるのはなぜなのか。本书では、料理がもつ精神的な侧面に注目しながら、これらの疑问にどう答えられるのか考えた。
今私たちが食べている中华料理は、実はこの约100年间で広まったものがほとんどである。日本の中华料理は、チャイナタウンの华侨?华人が中心に広めたものと、おもに日本人が中国から伝えたものとがあるが、本书の前半で取り上げた肉まん、ジンギスカン、饺子などが后者の代表例である。
1910年代に肉まんが普及し始めたのは、西洋人に対する日本人の身体的な劣等感を克服するために、西洋の牛肉料理ではなく中国の豚肉料理が提唱されたことがきっかけであった(第1章)。ジンギスカンは、1910年顷に北京の日本人が羊肉の炙り焼きを「成吉思汗」と名づけ、それは1932年に建国された満洲国の名物料理になっただけでなく、その勇ましい名前から陆军が戦意高扬の宣伝に用いることもあった(第2章)。焼き饺子は、日本人が败戦后に満洲から伝えた「引扬者料理」であり、1950年代には「饺子时代」と呼ばれたほど急速に普及した。それは、引扬者たちを包容した戦后日本社会の国民再统合の象徴になりうる食べ物であった(第3章)。
日本の中华料理は、イギリスのカレーなどと同様に、帝国主义と深い関わりをもつ。だが、戦后にはノスタルジアの対象となり、地域振兴に活用され、文化遗产にもなった。日本の中华料理は日中交流の产物であり、その明るい面も暗い面もあわせて世界史の一部としてとらえることで、その価値はいっそう高まると思う。
本书を読了してくれた叔父(塾员)の亡父は、関东军の将校で、満洲で败戦を迎えてシベリアに抑留された后に帰国した。彼は客のもてなしが好きで、前日からマトンを仕込んだジンギスカンを得意とし、叔父もそれが好物であったという。本书を自身の思い出と重ね合わせて読んでいただけてうれしかった。
岩间 一弘
庆中公新书
304页、1,166円〈税込〉
※所属?职名等は当时のものです。