执笔者プロフィール

大内 悟史(おおうち さとし)
その他 : 朝日新聞記者塾员

大内 悟史(おおうち さとし)
その他 : 朝日新聞記者塾员
3歳、3歳、1歳。2011年に起きた东日本大震灾当时、我が家は乳幼児3人を抱えていた。东京电力福岛第一原発の事故もあり、粉ミルクや饮料水、纸おむつが品薄に。妻子は一时、関西に身を寄せた。
同年秋には、故郷の福岛県いわき市から横浜市内に避难していた祖母が99歳で世を去った。震灾関连死とされ、毎年3月発表の数字に加えられて追悼の対象となっている。
买いだめや买い控え。计画停电や自主避难。直接の被害はなくても、身の回りに起きた生々しい同时代の出来事を记忆する人は多いだろう。
ただ、多くの人が体験?记忆し、世の関心を集めた出来事も时の流れには抗しがたい。记忆は薄れ、记忆がない世代、体験していない世代も増える。年々远ざかる震灾を今后、だれがどう伝えるのか。
一般论ではない。春に高校3年になる上の子たちは今も地震の揺れや祖母の姿を记忆する。一方、春から高校に进む下の子は记忆がない。自分は、この子たちに震灾を「我が家の出来事」として语り継げるのか。
14年に雑誌の编集者から新闻记者に「社内転职」。18年から东京勤务に戻り被灾地との距离が近づいた。震灾10年を控えたコロナ祸の顷から恐る恐る被灾地をドライブし始めた。最初は1人で。次いで家族や知人を连れて。いわき市内の津波被灾地へ。北上し、双叶郡や相马郡へ。宫城?岩手の沿岸部へ。
各地で交通网が整い、震灾の遗构や公共施设ができ始めていた。福岛県内は14年に国道6号が全线復旧し、车が通れるように(22年に自転车や徒歩でも翱碍に)。15年には常磐道が全线开业。16年の同県公式ポスター「来て。」にも背中を押された。20年には闯搁常磐线全线が运行を再开。被灾地は访れにくい场所ではなくなっていた。
家族の物语をどう语り継ぐか。现在进行形の同时代史をどう见闻し、记録するか。2つの问いを抱えた旅を続けながら、中高生など10代の若い読者向けに被灾地への旅を呼びかける本が生まれた。
単なる観光や勉强の场ではない。忘れてしまうのはもったいない。被灾地は人生をかけて向き合う価値がある深い学びの场だと感じている。
大内 悟史
ちくま蚕ブックス
128页、1,340円〈税込〉
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。