执笔者プロフィール

加藤 宗哉(かとう むねや)
その他 : 作家塾员

加藤 宗哉(かとう むねや)
その他 : 作家塾员
远藤周作の生涯は73年だったが、最后のほぼ2年、笑うところを私は见たことがなかった。笑わせようと几度か皆で図ったが、上手く行かなかった。いつもただ、辛そうに、困ったように、俯(うつむ)くだけであった。
それまでは、つまり闘病生活に入る前までは、よく笑ったのである。すでに人工透析は始められていたが、ウソや冗谈、イタズラ癖は止むことがなかった。まさに狐狸庵(こりあん)という名にふさわしい日々――。たとえば「ピエール?ジャルダン(※カルダンではない)のファッションショーと音楽の夕べ」なる会を开き、主妇や学生たちに一番のオシャレ着で、ランウェイを歩いてもらう。そしてジャルダン氏(なぜかアメリカ人)が英语で挨拶をする。
あるいはまた、「家元夫人と女亲分の食事会」。みずからが率いた素人剧団「树座(きざ)」の中から、ちょっと凄みもある美貌の座员を博多の女亲分に仕立て、その晩餐の席へ気品に充ちた1人の家元夫人を招く。そして皆が夫人にばかり话しかけるようにし、とうとう女亲分の堪忍袋の绪が切れる。「しゃっきから、黙って闻いとりゃ、アンタら、そっちんオバハンばーっか、チヤホヤしてくさ、なんね!! うちん颜ばどうするつもりね、远藤しゃん」と、连れて来た子分役の男性をなぜか蹴り倒す。すると子分の足から血が吹き出し(じつは赤チンの袋を隠しているのだが)、それを见た家元夫人は震えだし、真青になり、ハンドバッグもカーディガンもそのままに戸口へ走り出した……。
リハーサルまで重ねたそんな悪戯を繰りかえしたのが、ちょうど70歳の顷で、最后の长篇となった『深い河』执笔に苦闘していた时期だったのである。
そんなときになぜ、懸命に遊ぼうとしたのか――と先生の没後まもなく、少し長い回想記を私は書いた(「わが師 遠藤周作」別冊文藝春秋)のだが、そのときの本がこんど28年ぶりに再刊されることになった。
おそらくそれは、远藤文学が时を経ても古びていないという証左なのだろう。远藤文学の本质とも言えるあの“おどけと哀しみ”は、世纪を超えて読む者の心を动かす。そのことを里づける新しい1章を书き加えて、今回の上木となった。
加藤 宗哉
河出书房新社
244页、2,310円(税込)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。