执笔者プロフィール

松尾 理也(まつお みちや)
その他 : 大阪芸術大学短期大学部教授塾员

松尾 理也(まつお みちや)
その他 : 大阪芸術大学短期大学部教授塾员
前田久吉の评伝を书いた。前田は产経新闻の创业者であり、东京タワーの创设者でもある。前田自身は小学校卒で、学歴でいえば庆应とは无縁だが、一方で时事新报の终焉を取り仕切った人物として、庆应とは少なからぬつながりを持っている。
庆应から见れば、前田は仇役である。戦前に时事が休刊に追い込まれた际の责任者であり、ずいぶんと叁田界隈から反発をかった。戦后、时事新报を復刊するが、おそらくねらいは时事の名声をもって当时の新闻用纸割当を获得することで、採算を度外视して尽力したわけではなかった。
だが、前田の足取りをたどっていくと、彼の波乱に富んだ人生の要所要所で庆应人脉が重要な役割を果たしていることがわかる。小林一叁は前田の师と言える存在だったし、小泉信叁、松永安左エ门といった颜ぶれとも亲しい间柄だった。なかでも深い関係だったのは、时事新报最后の社长、板仓卓造だろう。
时事新报再建に乗り込んだ际、前田は相当いじめられたようだ。そのひとりが、板仓だった。前田は板仓が亡くなった后の回想でも、「庆应の先生方――、むずかしいんだな。まあ名前出して悪いけど板仓卓造氏とかね」と愚痴をこぼしている。板仓は板仓で、「东京で新闻をやる场合には、前田のようなタイプでは向かない。商人ですからね。いくらか政治性を持っているとか、何かの头がある人じゃなくっちゃ……」とあからさまに下に见ていた。
面白いのは、その板仓が戦后参议院议员となった前田のために一肌脱ぐことだ。大手町にそびえるサンケイビルの敷地はもとはといえば国からの払い下げだが、それが可能となったのは时の総理であり亲友といえる间柄であった吉田茂に板仓が话を通したからだった。前田も时事なき后、板仓を产経の论説委员长?主笔として手厚く遇した。
われわれは、互いにお爱想を言い合うコミュニケーションに惯れすぎているのではないか。だから、前田と板仓のように悪口をぶつけ合う间柄を理解できないのではないか。おべんちゃらも、へつらいもない。本来、それは庆应的なありかただろう。本书にはそうした个性のぶつかり合いが他にも数多く収められている。
松尾 理也
创元社
336页、2,750円(税込)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。