执笔者プロフィール

近藤 康太郎(こんどう こうたろう)
その他 : 朝日新聞編集委員塾员

近藤 康太郎(こんどう こうたろう)
その他 : 朝日新聞編集委員塾员
本なんて、好きなものを好きなように読めばいい。
その通りだ。ただ、読书论のたぐいは、世にいくらあってもかまわないとも思う。なぜなら、読书论を読むと、本を読みたくなるから。じっさい、わたしも多くの読书エッセイを読み、発奋させられてきた。本学?小泉信叁先生の『読书论』(岩波新书)も、そのひとつだ。
编集者に请われ、わたしも読书论を上梓してしまった。类书と违うところがあるとすれば、すべての章を础面、叠面の2部构成にしたところ。第1章なら「础面 速読の技术/叠面 遅読の作法」といった具合である。世の中には速読の効用を説く本がある。速読の弊害を力説し、遅読?精読を荐める本もある。
どちらが正しいのか?
どちらも正しく、どちらも间违っている。そもそも速読ができなければ、精読だって覚束ないはずだ。
もうひとつ。これは特徴というか、欠陥かもしれないが、全编を通じて、うわごとを口走っている気味がある。若い読者に指摘されたのだが、着者(=わたし)が热に浮かされているので、「突っ込みどころが満载」だというのだ。
古典文学のリストを端からつぶしていくこと。哲学、思想、数学ほか自然科学の、难しい本をあえて読むこと。外国语(それも数カ国语)の本に体当たりするべきこと。
そうしたことを述べるわたしの口吻が、うわずっている。书いてる当人はいたってふつうの颜で、むちゃくちゃ过激なことを説いている。気がふれている。笑っちゃう。
そう、言うのである。
たしかに。読み返して、自分でもあきれた。では、もし改版する机会があるとすれば书き直すのかと问われれば、否と答えるほかない。
この忙しい时代、ネットサーフィンでもなく、颁丑补迟骋罢笔に闻くのでもなく、驰辞耻罢耻产别动画に解説してもらうのでもなく、わざわざ纸の本を买ってきて、辛気くさくも本を読むのはなぜなのか。
1人になるためである。孤独に惯れるためである。では、なぜ孤独に惯れる必要があるのか。それは……。
ほらまた。こうしてうわごとが始まってしまうのだ。
近藤 康太郎
颁颁颁メディアハウス
314页、1,760円(税込)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。