执笔者プロフィール

高桑 和巳(たかくわ かずみ)
理工学部 教授
高桑 和巳(たかくわ かずみ)
理工学部 教授
哲学の入门书を书いた。しかし、読者を哲学史の本道に导きたかったわけではない。そもそも、私自身が本道とは縁远い人间である。
それでも、哲学の何たるかについては自分なりにではあれ考えつづけてきたし、その考えを伝えたいという思いはずっと抱いていた。
とはいえ、それを本にまとめるのは厄介だ。じつを言うと、十年あまり前にも一度、哲学の入门书を书かないかと诱われ、お受けしたことがある。しかし、そのときは準备不足だった。何年もの呻吟の后、その话はお断りすることになった。
さて、私は「哲学の民主主义」に与(くみ)する者である。つまり、谁もが「哲学する」ことができるのでなければならないし、谁もが「哲学し」ているというのがこの世の望ましい风景だろうと考えてもいる。
譬(たと)えてみよう。职业的な画家はいるが、それとは别に、谁もが絵を描くことができる。描けないと思っている人でも描ける。もちろん、技法や美术史をふまえるのはかまわないが、描きはじめることにとってそれは本质ではない。そんなことでやる気を削いでもしかたがない。
哲学もそれと同じであって、哲学史を抜きにしても谁もが哲学に取りかかれるべきである。入门という体裁にとってこのような立场は自明とも思えるが、世の哲学入门は私に言わせればまだまだ威圧的である。できれば哲学史を学んでほしいという浅ましい欲気が感じられる。
哲学史(とくに西洋哲学史)の文脉を极限まで取り除いたうえで、各人の生得的な「哲学する」力自体へと読者を目醒めさせよう──と、十余年前の私も思った。そのためには、谁をも等しく访れる哲学的契机が强调されるべきだ。そこで、当时の私は「ひらめき」を轴に本をまとめようと考えた。しかし、それは结局うまく行かなかった。
失败の决定的な原因だったのは、当のひらめきを生む元となるものに対する私の考えがはっきり定まっていなかったということだろう。そして、今回はそれがある程度定まったため本を出すことができた。
抵抗を生む状况、これこそが「ひらめきの元」である。さて、ここで纸幅が尽きた。続きは本书で。
高桑和巳
集英社新书
224页、902円〈税込〉
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。