执笔者プロフィール

山内 志朗(やまうち しろう)
文学部 教授
山内 志朗(やまうち しろう)
文学部 教授
新型コロナが流行し始めたとき、深刻に受け止める人は多くはなかったと思う。それから2年近く経った。この疫病の流行は止む気配もない。ワクチンも开発され、接种者も徐々に増加する状况の中で、少し光が见えたような时期もあったが、新规感染者の増加はなかなか终わらない。
本书は、昨年度(2020年6月)に、未来哲学研究所が行ったコロナ祸をめぐるアンケートに答えた一文「断末魔の苦しみも……无駄に経験されるのではない」という文章が机縁となった。
私がこの本で语りたかったのは、単纯なことだ。中世の圣人アッシジのフランチェスコ(1181/82~1226)の思想を语ることだ。日本の鎌仓时代の亲鸞(1173~1262)とほぼ同时代の人物だ。彼の思想はシンプルだ。この世の全ての事物、生物、山や空気や星の自然物も悉く神の被造物であり、そして総て姉妹兄弟だというのだ。事物だけではない。病も苦难も、いやそれどころか死もまた姉妹なのだ。
死は乗り越えるべき课题と捉えられてきた。ロシアの思想家フョードロフは、人间に死があるのは、人间が伦理的に不完全であるからだと考えた。人间がより完全になるために、个体の死が必要だと捉えた。そして、人间が伦理的に完全になれば、死ぬ必要がなくなり、不死になると考えた。不死になって、この地上に人间が溢れかえるときのためにロケットで宇宙に出ていって地球外に人が住む时代を、飞行机の発明に先立って梦见た。
このような教説を梦物语と笑うこともできる。しかし、それでよいのか。少女であるグレタ?トゥーンベリの地球温暖化と人类灭亡から救済の物语は、けっしてそういう物语から远いものではない。
疫病に立ち向かうためには、政策面での社会全体に及ぶ方策と、具体的な医学的な予防方针と治疗体制を準备することが必要だ。ただ、コロナをゼロにすることが困难である以上、コロナと长い间立ち向かうためには、粘り强い我慢と未来への希望が必要だ。生き抜くための伦理が必要ではないのか。その気持ちをこの一书に込めた。未来の世代のためにも早い终息を心から愿う。
山内 志朗
未来哲学研究所
256页、1,980円〈税込〉
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。