执笔者プロフィール

久保田 哲(くぼた さとし)
その他 : 武蔵野学院大学教授塾员

久保田 哲(くぼた さとし)
その他 : 武蔵野学院大学教授塾员
いまでこそ「私学の雄」たる庆应义塾も、何度も経営危机に濒してきた。なかでも、明治10年代前半は、深刻な危机として知られる。
明治10(1877)年の西南戦争后のインフレーションにより、多くの士族が困穷すると、塾生の多くが士族であった庆应义塾への入学者が大幅に减少した。明治11年から12年にかけて、福泽は大隈重信や伊藤博文、黒田清隆など、明治政府の実力者たちに、庆应义塾を维持するための経済支援を求めた。福泽によれば、大隈はこれに前向きであったものの、伊藤らが难色を示し、叶わなかったという。
意趣返し、というわけではなかろうが、福泽はその直后より、『国会论』や『民情一新』を着し、イギリス流の议院内阁制の导入を诉えた。これが契机となり、在野では议会开设要求が隆盛し、萨长藩阀批判へと展开していった。
このとき、谁よりも福泽を危険视した人物が、伊藤博文の懐刀として知られる井上毅(こわし)であった。福泽の主张する议院内阁制とは、选挙の结果が内阁の构成にも影响する制度である。つまり、これが导入されれば、明治政府を支えた面々がこぞって姿を消すこともありうる。
井上の暗跃もあり、明治14年の政変の结果、イギリス流の议院内阁制の导入は见送られた。同时に、尾崎行雄や犬养毅、中上川彦次郎、矢野文雄(龙渓)など、福泽门下の若手官僚の多くが官界から追放された。庆应义塾から官途に就くことは困难となり、その帰结が「実业界に强い庆应义塾」であった。
また、文部省による私学冷遇政策も続いた。その象徴が、私学に対する徴兵犹予の特典丧失である。庆应义塾にこれが与えられたのは、明治29年──井上が没した翌年のことであった。
さて、本书は、上述のように福泽諭吉や庆应义塾にも多大なる影响を与えた明治14年の政変について、その実相や原因などをまとめたものである。福泽や庆应义塾のみならず、宪法制定や议会开设、财政など、多様な视座からの考察が可能な明治14年の政変。関心を持たれた方は、ぜひ本书を手に取っていただきたい。
久保田 哲
集英社インターナショナル新书
280页、1,012円〈税込〉
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。