执笔者プロフィール

藤田 嗣隆(ふじた つぐたか)
塾员

藤田 嗣隆(ふじた つぐたか)
塾员
平成16年、42年间の会社员人生を终え、私は66歳で、かねての念愿だった文学部美学美术史学専攻の3年生に编入学した。これは、母方の大叔父レオナール?フジタのことを本格的に调査研究するためには、美学美术史学の基础的知见を持った方がよいと考えたからである。
「番町ジイジ」と私が幼少时に呼び亲しんでいたフジタは、その顷麹町六番町にアトリエを构えていた。そして私が小学校に入学した时、太平洋戦争の激化で画材も欠乏する中、入学祝として、本职の画家が使う55色の木箱入りクレパスを赠ってくれた。このことは私にとって忘れ难い记忆となり、戦后フジタが日本を去ってフランスに没した后、いつしかフジタのことをきちんと调べてみたいと思うようになったのである。
一方、今となってはフジタの謦咳に接し、その人となりや身辺で起こった出来事を知る人々はほとんどいない。それ故、生前のフジタを知る最后の世代として、フジタに関する「覚书」を记録し、后世の研究者に残すことは、私の使命ではないかと思うようになったのである。こうして私が学生に戻り、本格的にフジタの调査研究を始めると、亲族等から、思い出话やフジタに関连する日记、手记、书简、写真等の1次资料が送られてくるようになった。
そして平成28年、フジタ未亡人君代から东京艺术大学大学美术馆に遗赠されたフジタの日记、写真等が公开された。それまでに私の手许に集まっていた资料も、美术馆遗赠资料を补完するものとして役立った。これらをつむぎ合わせてまとめたのが、この「覚书」である。したがってこの本は、フジタの作品に関する専门的学术书ではない。今までに収集した1次资料にもとづいて、できるかぎり事実に即し、ありのままにフジタの生涯の断片をオムニバス风に记したものである。
今まで语られることのなかったエピソードを通して、一时の成功に安住せず、作画のスタイルの创造的破壊を続けたフジタの生き方が少しでも见えてくればよいと考えている。フジタの作品を好む方々が、フジタと一绪に散歩しながら语り合うような気持ちになって、読んでいただければ幸いである。
藤田 嗣隆
求龙堂
258页、3,500円〈税抜〉
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。