执笔者プロフィール

桐村 英一郎(きりむら えいいちろう)
その他 : 元朝日新聞記者塾员

桐村 英一郎(きりむら えいいちろう)
その他 : 元朝日新聞記者塾员
定年后、生まれ育った东京を离れ、奈良県明日香村を経て叁重県熊野市に移住した。倾斜地に建つ借家の窓から熊野滩を眺める暮らしも10年になる。そこで古代史を探究してきたが、今回初めて近世に分け入った。
纪伊国(きのくに)は「木の国」でもある。森の奥には木地屋(きじや)(木地师)やサンカがいた。前者はトチ?ブナ?ケヤキ?ミズメなどを刳(く)り抜いて椀や盆、杓子などを作る职人。后者は农具の箕みを编んだり、川鱼を里人に売ったりした。そんな山の漂泊民はもういないから、古老の切れ切れの记忆や墓石や过去帐などに、その痕跡や残り香を求めるしかない。
里人は山にあこがれ、森の漂泊の民にロマンを抱いてきた。私もその一人だ。熊野市歴史民俗资料馆が「木地师 その伝承としごと」展を企画したのを机に、彼らの幻影を追い、関係者へのインタビューを重ねた。
全国で活动した木地屋たちは小椋谷(おぐらだに)(滋贺県东近江市の蛭谷(ひるたに)と君ケ畑(きみがはた)を心のふるさととし、平安时代の悲剧の主人公?惟乔(これたか)亲王を祖神と崇める「共同幻想」の世界に生きた。私の取材は铃鹿山脉の山懐?小椋谷で今も轆轤(ろくろ)を回している小椋昭二さんの访问から始まった。「小椋」は木地屋特有の姓である。
山の漂泊民を见る里人の眼差しには好奇心も混じっていた。そこから「木地屋の娘には美人が多い」という俗説が生じ、それを里謡(りよう)がはやした。熊野市の奥山には「倾城(けいせい)(美人)木屋(こや)」という地名も残る。
山间に暮らす木地屋には色白の娘がいただろう。実际美女がいたかもしれない。だが好奇心が高じて「他所との交流が少ないから近亲婚が多く、畜生谷の地名ともなった」となると放ってはおけない。确かに木地屋たちと里人との婚姻は少なかったようだが、良木を求めて各地を移动した彼らには仲间内の交流があり、そこで男女が结ばれる例も少なくなかったろう。好奇心が偏见、そして差别につながりかねない危険がそこにもある。
拙着には「木地屋の末裔が先祖の屋敷跡を発见する话」「とある木地屋の妻の墓からたどる一族の物语」など现地を踏んだ话を盛り込み、実际に访ねてみようという読者のために写真や地図も多く使った。
桐村 英一郎
七月社
168页、2,000円〈税抜〉
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。