执笔者プロフィール

汤川 豊(ゆかわ ゆたか)
その他 : 文芸評論家塾员

汤川 豊(ゆかわ ゆたか)
その他 : 文芸評論家塾员
大学时代からの亲しい友人にこの本を赠ったら、礼状をもらった。
「若い顷、君がいちばん多くを语っていた作家を论じた本を、この年になって书いたことに、まずもって感慨があった」という趣旨のことがそこに记されていた。
私は、学生时代にあまり文学を论じたことなどなかったと自分では思っている。いわれてみて、そうだったのかなあと、それこそ感慨にひたったのだった。
高校时代に、『野火』や『武蔵野夫人』などの小説、さらには稀有な体験谈である『俘虏记』などを読んだのが始まりで、何よりも日本の近?现代文学には见かけない、正确でしかもしなやかな文体に心惹かれた。
そのみごとな文章のせいであろうか、前にあげたような作品に『花影』や『事件』などを加えて、今、大冈作品は「昭和の古典」あつかいされている。そして皮肉なことに、古典にまつりあげられて、人びとがほとんど読まなくなっている。
しかし、私にとっては、今に至るまで「今日の」文学なのである。
私は出版社に勤めていた时代に、大冈作品を発表と同时代的に読むようになったのだが、大冈作品は常に最先端の文学のあり方を示していた。富永太郎や中原中也の伝记、自叙伝の试み、现代日本文学への不満を语る评论、その延长にある痛烈な论争と、大冈昇平はまことに生き生きと、多彩な仕事を展开した。
仕事のひろがりにとても追いつけない、と思いながら、それでも追いつづけるのをやめなかったのは、大冈の作品には、现代日本の文学がひきつがなければならないテーマが、つねに内在していたからだと思う。
たとえば『常识的文学论』(1962年刊)という评论集では、日本のエンタテイメント系小説の洪水が论じられているが、これは2000年代に入ってはさらに复雑な姿となって、现代文学がかかえる大きな问题そのものになっている。
さらにいえば、大冈の死の1年后に刊行された『昭和末』には、そのエンタテイメントの新しい姿をとらえて、以前とは异なった模索が语られている。
すなわち、私には「大冈昇平の时代」はけっして终わっていないのだ。
汤川 豊
河出书房新社
312页、2,300円(税抜)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。