执笔者プロフィール

近藤 祐(こんどう ゆう)
その他 : 一級建築士塾员

近藤 祐(こんどう ゆう)
その他 : 一級建築士塾员
东京の风物は激しく変貌する。私が20代の终わり顷に撮影してまわった同润会アパートなど、すべて姿を消した。若い人に「以前ここには銭汤があった」などと话し、「いつの话ですか」と闻かれ「二十数年前かな」と口をすべらせてしまう。还暦をすぎれば当然とは言え、相手からすれば记忆している筈もない过去、つまりは歴史に属する话であろう。
今回の本に取り上げた「呑川(のみがわ)」は、东京の世田谷区?目黒区?大田区を流れる二级河川であり、私が幼少期から20代半ばまでを过ごした久が原、奥沢、等々力といった町々を流れていた。当时の记忆とともに、古地図や文献にこの川の来歴と変迁とを探り、叁十数年の时间を跨ぎ水源から河口まで歩いてみた。「以前ここには……があった」は勿论、「こんなものが出现した」とか、「まったく记忆と符合しない」が频出する。呑川そのものもドブ臭い下水河川から、无色透明な高度処理水を流す拟似河川へと変貌していた。
小学校に入学してすぐ、ある大雨の日、「あぁ呑川があふれている。今日は帰れないや」と级友がつぶやいた。かつて呑川はたびたび氾滥し、人家を「呑む」川であった。彼が见ていた方角にある呑川の「道々桥(どどばし)」の语源には、呑川に流れ込む洗足支流が「ドドドド……」と轰く滝であったからとの説がある。江戸文政年间の『新编武蔵风土记稿』にも、「霖雨(ながあめ)あれば……水灾を免れす」と、合流点付近の氾滥を暗示する。あの大雨の日のエピソードも、私の人生におさまる时间であるが、すでに歴史の一部であるらしい。呑川両岸の荏原台地と久が原台地とは、ウルム氷期に前后する武蔵野ローム层で、両岸の支流や暗渠にその地势の违いを探ることができる。さらに言えば呑川は、かつて荒川水系に注いでいた多摩川が现在のルートに落ち着くまで、流路変更を重ねた痕跡である。いずれも有史以前の话であろう。
変貌激しいとした东京の风物など、おそらくは武蔵野台地からすれば表层の苔みたいなものであり、その苔の隙间に仮寓する人间など、カビのような存在かもしれない。そんな人间の1人として、パスカルの「考える苇」ならぬ「歴史を语るカビ」が书いたのが、今回の本である。
近藤 祐
彩流社
188页、2,700円(税抜)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。