执笔者プロフィール

佐藤 道生(さとう みちお)
その他 : 名誉教授
佐藤 道生(さとう みちお)
その他 : 名誉教授
去る10月7日から13日まで、東京丸の内の丸善本店4階ギャラリーで第32回慶應義塾図書館貴重書展示会が開催された。今回のテーマは「古代中世 日本人の読書」で、室町時代以前の日本人が中国伝来の漢籍をどのように学んだのかということに焦点を当てたものであった。その展示書百点の最初に置かれたのが、ここに紹介する中国6~7世紀書写の『論語疏(ろんごそ)』巻6である。この写本については、義塾が本年9月10日付のプレスリリースで「慶應義塾図書館が『論語』の伝世最古の写本を公開」と題して発信し、その後、朝日新聞、読売新聞、NHKでも同様の報道がなされた。それゆえ丸善の展示会場に足を運んで実物を御覧になった方もおられると思うが、展示会の監修者の立場から、あらためて本書の概要、資料的価値、公開の経緯などを簡単に説明することにしたい。
『论语疏』は魏の何晏(かあん)の『论语集解(しっかい)』を梁の皇侃(おうがん)(488~545)が再注釈した书で、正式には『论语义疏(ぎそ)』と呼ばれる。书名の「疏」とは注釈をさらに注釈する意。孔子の言行を记録した『论语』は断片的な记述から成っているため、古来その内容を理解するには注釈书を必要とした。中国ではこれまで无数の注釈书が着されたが、何晏の『集解』は宋代に朱熹の『论语集註(しっちゅう)』が现れるまで、古注(汉~唐に成立した注釈书)の代表として最もよく読まれた书であった。ただ『集解』にも解釈に不足の点があったため多くの疏(何晏注の注)が作られ、その中で最も评価を得たのが皇侃の『义疏』である。
『论语义疏』は勿论日本にも将来された。平安前期(9世纪末)に作られた宫中の汉籍目録『日本国见在书目録』にその名が见え、また南北朝から室町时代にかけて(14~16世纪)の古写本30点余りが日本国内に现存している。ところが、こうした日本に於ける现存状况に反して、中国では宋代に入って程なく『义疏』は姿を消してしまったのである(消灭した理由は纸数の関係で省く)。
今回公开された『论语疏』写本は、その书法、书式、料纸などから中国の南北朝から隋にかけての时期に书写されたものと认められる。麻纸による料纸二十枚を継いだ巻子装一轴から成り、『论语』二十篇の内、子罕?郷党の二篇を収める。本写本がいつ顷日本に将来されたのか。その时期を推测する手掛かりとなるのが、错简を防ぐために料纸の継ぎ目に捺された2种类の缝印である。1つは「藤」の印文を持つ平安前期(9世纪初め)の藤原氏所用印であり、今ひとつは印文不明だが、「藤」印に先行するものである。したがって本写本は奈良时代或いはそれ以前(7~8世纪)に日本に将来されたものと推测できよう。
さて、本写本の価値は奈辺にあるのだろうか。私见では次の3点に集约できるように思う。第1に、伝世の书としての古さである。伝世とは人の手から人の手へと受け継がれて伝わった意である。出土品であれば、これよりも古い『论语』の写本が中国や北朝鲜に现存するけれども、伝世品でこれほど古いものは他に见当たらない。隋以前の写本の现物であること自体に大きな価値が认められるのである。尚、本写本は全体の10分の1しか存していないものの、その内部には『论语』の経文、『集解』の注文を全て含んでいる。したがって『义疏』の最古写本であると同时に『集解』の最古写本であり、また『论语』の、出土品を除いての最古写本と称することができる。
第2に、『论语义疏』の原本に极めて近い本文(テクスト)を持っていることである。先に述べたとおり、日本には『义疏』の南北朝?室町期写本が数多く现存している。これらの写本と本写本とを比较してみると、本文异同が几つか见出される。これは皇侃が『义疏』を着してから日本の南北朝?室町期まで1000年近い年月が経っており、その间『义疏』が転写される过程で『义疏』以降の注釈などの不纯物(解釈には役立つが本来の『义疏』には无かった本文)が仅かながらも窜入(ざんにゅう)したことを暗示している。一方、本写本は『义疏』成立后数十年しか経ておらず、皇侃の原本に极めて近い本文を有していると思われる。両者の比较を通して『义疏』の原姿が明らかになると同时に、『论语』注釈の展开を跡づける手掛かりが得られるに相违ない。
第3に、书式面に於いても原初形态を保持している点である。本写本には経?注?疏それぞれの本文が混在しているが、文字は全て同じ大きさで书かれている。経?注?疏をどのように区别しているかと言えば、経文には朱笔で傍点を付し、注文には起点の右肩に朱の鉤点を付し、疏文には起点の右傍に朱で「叁」のような符号を付することで、叁者を区别しているのである。これが后代になると、室町期写本などでは経文を大字で、注文を経文より一格下げて大字で、疏文を小字で书写するという书式に改変されている。これは叁者を一见して区别できる书式であり、后代に読者の便宜を図って行った措置である。书式の改変がなされた时期は不明だが、『义疏』本来の书式が本写本の出现によって明らかになったのである。
最后に、本书が公开されるに至った経纬について触れておこう。都内の古书店から『论语义疏』の古写本を仕入れたとの连络のあったのが2016年3月のこと。そして、本书がめでたく庆应义塾図书馆に収まったのは翌年2月のことだが、そこに至る道のりは必ずしも平坦なものではなかった。それでも何とか収蔵にまで漕ぎ着けることができたのは、次の3つの要素が偶々(たまたま)揃った结果であったと思う。第1に、図书馆(当时の馆长は赤木完尔法学部教授)が本书を贵重な文化财であると认め、购入の英断を下してくれたこと。第2に、义塾出身の古书店主(名前は出してくれるなとのことなので伏せる)がこのような书は公共の研究机関に収蔵されるのが望ましいとの持论から、破格の安価で譲渡してくれたこと。第3に、塾内に住吉朋彦斯道文库教授?种村和史商学部教授を中心とする共同研究体制が整えられていたことである。これらの内1つでも欠けていたならば、本书が今回の図书展示会の目玉として公开されることはなかったであろう。叁重の侥倖を喜びたい。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。