执笔者プロフィール

西泽 直子(にしざわ なおこ)
研究所?センター 福澤研究センター所長?同教授
西泽 直子(にしざわ なおこ)
研究所?センター 福澤研究センター所長?同教授
画像:提供:庆应义塾福泽研究センター
『学问のすゝめ』と『文明论之概略』
『学问のすゝめ』は、福泽諭吉が国民すべてに向けて书いたメッセージで、社会をどのように変革すべきかがわかりやすく记されている。一方『文明论之概略』は、すでに老眼が进んだような汉学者たちを対象にした、いわば学术书であり、福泽が和汉洋书をひもときながら执笔を重ねた自己研钻の结晶で、こむずかしい。二书にはこんなイメージがあると思う。
しかし『文明论之概略』の绪言を読めば、「一身にして二生を経るが如く」の大転换を経験した福泽が、その経験値を活かして「日本全国の面を一新」することをめざした书であることがわかる。すなわち『学问のすゝめ』同様、同书もまた国民へのメッセージなのである。
绪言の最后には「往々社友に谋りて或はその所见を问い、或はその尝(かつ)て読たる书中の议论を闻」いたとあり、自身の読书体験だけでなく、人びとと议论し、彼らの読书体験からも知识を得て执笔した。つまり『文明论之概略』は福泽の着述であると同时に、彼の周囲の人びとの知识や问题意识をも内在している。中でも福泽が「特にその閲见を烦わして正删(せいさん)を乞」うたのは、小幡篤次郎であった。福泽は小幡によって「理论の品価」が増したと书き、『文明论之概略』への小幡の贡献については近年平石直昭氏のご研究がある(『福泽諭吉と丸山眞男:近现代日本の思想的原点』、北海道大学出版会、2021年)。
小幡篤次郎と『文明论之概略』
福泽が『文明论之概略』を执笔している顷、小幡は何を考えていたのか。小幡は福泽と同じく中津藩士の子に生まれ、元治元(1864)年福泽の塾に入り、以来彼の侧にあってその仕事を助けていた。明治7(1874)年2月の『民间雑誌』创刊号には「农に告る文」を寄せ、日本人としての意识を持つことや智恵の重要性、「政府の所业の良否」を知るのは一国人民の职掌であり、いずれそこから议事院に立つ人も现れると述べている。日本中の人びとが智恵を磨けば、外国との関係においても祸が却って福となるという。
しかし翌年2月の「内地旅行の駁議」(『民間雑誌』第8編)では、「人心或は土崩瓦解」に瀕していると危惧する。福澤は前年10月の馬場辰猪宛書簡で「マインド之騒動」が止まないと述べていた。世情の不安定は、2人の共通の認識であった。小幡は、人心を維持する「綱(つな)」が多く存在し、「綱」を理解する知識と保存する徳を持つことが必要であると説く。「綱」とは「昔物語を共にするの綱」「一政府を仰ぐの綱」「言語を同ふするの綱」「風俗習慣を同ふするの綱」等で、歴史や文化、common cause となるべきものが、人心を維持し国体を固結するという。
彼は明治7年から9年顷に、自宅で森下岩楠、须田辰次郎らと闯?厂?ミルやアレクシ?ド?トクヴィルの讲読会を开いており、一般の人びとも参加していた。一説には福泽の勧めともいう(「义塾懐旧谈」『叁田评论』235号)。7年6月には叁田演説会も始动した。『文明论之概略』第2章では、自由の気风は多事争论の中に存在するとあり、庆应义塾の中でも盛んにディベートが始まっていた。
『文明论之概略』の中で第10章が、他の9章の文明论とは异なり、现状への问题意识が强く反映されていることはこれまでも指摘されている。现存する第10章の草稿の执笔时期は明治8年1月18日から2月2日、小幡の「纲」论が明治8年2月刊行、绪言の日付が明治8年3月25日であることを考えると、『文明论之概略』は彼らに示す処方笺でもあった。
『文明论之概略』から学ぶこと
私たちはひとつの时代を生きているようで、全くそうではない。「昭和」っぽい、「平成」っぽい、は単にデザインの话ではなく、実は一身にして二生を経るどころではない、大変化の中に生きているのかもしれない。学生たちがレポートを原稿用纸に手书きしていたのは、つい30年前であるのに、今や础滨が作成したものが确认もせずに提出される。変化の本质を见极めないことは恐ろしい。
『文明论之概略』は、「议论の本位を定る事」から始まるように本质の议论であり、多くの示唆が含まれている。たとえば福泽は第7章で、「家族」の间は情を以て交わりを结び、自らを薄くして他を厚くし、他の満足をみて却って心に慊(こころよ)きを覚える関係と述べ、第10章では「国家」の「家」は人民の家ではなく、执権者の家族もしくは家名であるという。しかし「国家」の「家」が「家族」になった时、自己犠牲が美谈となり、私たちは大きく道を踏み外してしまったと言えはしないか。
日常の大きな変化とは里腹に、福泽が「商売と戦争の世の中」と言った「今の世界」は、やはり「商売と戦争の世の中」のままである。なぜそれは変化しないのか。まだまだ『文明论之概略』から学んでいかなければいけないと思う。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。