执笔者プロフィール

根井 雅弘(ねい まさひろ)
京都大学大学院経済学研究科教授
根井 雅弘(ねい まさひろ)
京都大学大学院経済学研究科教授
画像:提供:庆应义塾福泽研究センター
私の専门は西欧の経済思想史なので、ふだん日本政治思想史や日本経済思想史の分野の伟人たちを授业で教えることはない。だが、2025年が『文明论之概略』の出版150年になることは偶然知っていた。
もちろん、私は一介の経済思想史家に过ぎないので、福泽諭吉の思想の多面的な评価については硕学に委ねたい。ただ、私のようにケインズやシュンペーターなどの西欧の経済学の古典を読み、その分野でものを书いてきた者にとっても、『文明论之概略』は非常に启発的であり、そのことを书いていきたい。
私が学生の顷は、日本経済思想史は今ほど人気のある科目ではなく、その分野の研究者も多くはなかった。だが、福泽の経済思想には関心があったので、硕学による评価をひもといてみたところ、ある本に「重商主义的贸易立国论」だと书かれてあった(杉原四郎『明治启蒙期の経済思想 福沢諭吉を中心に』法政大学出版局、1986年)。明治期の「殖产兴业」のために必要なある种の保护主义を採用し、ひいては「独立自尊」を成し遂げるという筋书きはわかりやすくはあるが、すでにケインズを勉强していた私には、福泽のように复眼的な目をもった思想家に1つのレッテルを贴るのは多分に误解を招くのではないかという不安を抱いた。なんとなれば、ケインズも、不况脱出のための「(赤字)财政主义」というレッテルを贴られて、彼が优れた货币理论家であったことが今日でも正确に理解されていないからである。
『文明论之概略』が刊行された1875年には、経済学界に「限界革命」(ふつうは消费量を1単位増やしたときの効用の増分を意味する「限界効用」の発见に始まると説明される)と呼ばれる新しい动きが生じていたが(例えば、ジェヴォンズの『経済学の理论』の刊行は1871年)、限界革命はケインズ革命のように一気に学界の势力図を涂り替えたというよりは四半世纪以上も长いあいだ徐々に进行した理论的革新であった。その上、ヨーロッパ大陆から歴史学派やコントの総合社会学などの思想が流れ込み、学界は混迷を深めていた。だが、アダム?スミスに始まる古典派経済学がただちに消え去ったわけでは决してない。1875年はまだ最后の古典派の大物、ジョン?スチュアート?ミルの『経済学原理』(初版は1848年だが、第7版が1871年に出ている)が十分に教科书として通用していたと言ってよい。
福泽と経済学というと、しばしば、福泽が新政府军と彰义队との上野戦争にも动ぜず、フランシス?ウェーランドの経済书を讲じていたという逸话が持ち出されるのだが、それは史実ではあっても、福泽が古典派経済学をどのように评価していたのかが伝わってこない。
ところが、『文明论之概略』を読むと、福泽が経済の二大原则(巻之5第9章)を挙げており、それがスミス以来の古典派経済学と惊くほど符合していることに気づく。
すなわち、第1は、「财を积(つみ)て又散ずることなり。而(しこう)してこの积むと散ずるとの両様の関係は、最も近密にして决して相离るべきものに非ず」とあり、「経済家の目的は、常にこの所得をして所损より多からしめ、次第に蓄积し又费散して全国の富有を致さんとするに在るなり」という。これはスミスが『国富论』第4编で、年々の生产物の交换価値が年々の消费よりも大となることを强调しているのと类似している。
第2は、「财を蓄积し又これを费散するには、その财に相応すべき智力とその事を処するの习惯なかるべからず」とある。経済の「智力」と相応の「习惯」が欠けているのは、封建时代の日本が士族以上の治者と农工商以下の被治者に分断され、権力が前者に集中していたからだ。福泽は将来の日本は「中间层」が文明をリードしていくべきだと考えていたが、残念ながら、幕末から明治期には、スミスが生まれたイギリスにあった市民社会やその社会に生きるふつうの人间が従うべきルール(これが「モラル?フィロソフィー」の基本である)も根づいていなかった。「モラル」は当时翻訳しようがなかったので「修身」と訳されていたが、本来は、市民社会の诞生と结びついた言叶である。ケインズもまた経済学を「モラル?サイエンス」のひとつであると言っていた。
だが、现状から一足飞びに「文明」には到达できないので、福泽は「渐进主义」を採り、彼が折々に书いた时事论説にもその立场が浓厚に反映している。いずれにせよ、福泽はスミスに始まる古典派の伝统がしっかり根づいているイギリス、そしてかの国で活跃していたミルの政治経済思想から大いに学んだはずである。ミルの思想こそ、改革の积み重ねで资本主义を进化せるという意味での渐进主义だからだ。それはマーシャルを経てケインズにまで継承されていくが、ミルを何度も引いた福泽もまたそのような姿势から示唆を得たに违いないと私は思っている。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。