执笔者プロフィール

泉 麻人(いずみ あさと)
その他 : コラムニスト塾员

泉 麻人(いずみ あさと)
その他 : コラムニスト塾员
叁田キャンパスの図书馆旧馆、改修工事が完了した通称「八角塔」のある馆の2阶にオープンする〈庆应义塾史展示馆〉を见学することになった。叁菱1号馆などの赤レンガ建筑で知られる明治の大建筑家?曾禰达蔵が后辈の中条精一郎とともに设计したこのシンボリックな図书馆、现役学生の时代に日々利用した思い出の场所、というわけではないけれど、当时よりもむしろこういう物书き仕事をするようになってから、昔の『时事新报』や『叁田新闻』の风俗记事を调べに来ている。
福泽諭吉の研究者?都仓武之准教授の案内で、庆应连合叁田会会长の菅沼安嬉子さんとともに(叁田会の情报ウェブで御名前を存じあげていた先辈なのでちょっと紧张!)フロアーの展示を眺めていった。
福泽が师事した绪方洪庵や杉田玄白との関係文书や諭吉の父?百助が収集していた古銭……なんていったものまで、マニアックな史料がいろいろとあるけれど、そもそも福泽家は古物をよく保存していたらしい。
「それと、けっこうネットオークションに贵重なものが出回っているんですよ」と、都仓先生から意外な内情を伺った。値は定かではないが、ネットで买い取った品もいくつかあるという。
出元がネットかどうかは知らないけれど、若き福泽がヨーロッパに渡航した际(『西洋事情』を着す前の文久年间だろうか……)にフランスやオランダで撮影した(现地の写真屋に撮ってもらった)ブロマイド风の写真があって、なかでも〈オランダ?ハーグ〉と撮影地を记した〝ほおづえをつく諭吉?のショットが目にとまった。纹つきの和服に头はまだチョンマゲだが、西洋の洒落(シャレ)男风のポーズが様になっている。カメラマンに指示されたのかもしれないが、こういうのを见ると、福泽諭吉にはそれなりの芝居っ気(????)があったのだろう……と想像される。
そんな〝イケテる写真?ともう1つ、諭吉の人间性が垣间见られるユニークな文书があった。
『言海』といういまも存在する辞书の発刊を祝う宴会(明治24年6月)の招待状なのだが、祝辞を述べる宾客リストの自らの名(题目とともに「福泽先生」と记されている)の所をペンで消し溃している。
これ、単に急用ができて会を欠席した、ということではなく、福泽の右侧の招待客の先头にあたる箇所に伊藤博文(「伊藤伯」と记されている)の名があるのに腹を立て、自分の名を消去したのだという。栏外に文句らしきことが书きつらねられているけれど、どうやらこういうことらしい。自分より伊藤が先、というのが気に食わなかったわけではなく、市井の书物たる辞书の祝宴会のトップに政治権力者のあいさつをもってくるとは何事か……と愤ったようだ。さらに自分の祝辞もそこに并べて、伟そうにプログラムされていたのがおもしろくなかったのかもしれない。しかし、この招待状、福泽先生自身が一种の証拠品として保存されていたのだろうか。
そのおよそ10年后、明治34年の2月に福泽は死去するが、叁田构内にあった自宅を出る学生たちの葬列の模様をとらえた写真も印象的だ。この缓やかに湾曲した坂道は、いまの図书馆新馆脇(ここに福泽终焉の地の碑もある)から东门(幻の门)へっていく所に违いない。写真左隅の崖下に幽(かす)かに写りこんでいる叁角屋根(黒瓦と思しき)の建物は、僕が中等部生だった昭和40年代中顷までは残っていた多田商店の木造蔵ではないだろうか。
早庆戦が始まったのは先生が他界して2年后、明治36年11月のことだが、早稲田がわが庆应(野球部合宿所)に送りつけてきた、生々しい笔书きの挑戦状が展示されていた。挑戦状とはいえ、文中には「御教示にあづかり以て大に学ぶ所あらば素志此上も无く候」なんて谦虚な一节も见受けられる。そう、野球部の创设は庆应の方が约10年早く、このとき早稲田野球部はまだできて2年目くらい。先辈の胸を借りる、というスタンスだったのだ。
この〝谦虚な挑戦状?の日付が11月5日、早庆戦(まあこの时点では〝格?からいっても庆早戦と呼ぶべきかもしれない)の开催が11月21日だから、かなりスピーディーな决断だ。実际、対戦の话はそれ以前から両校の间でやりとりされていた、という説もある。
最初の早庆戦の会场が纲町グラウンドだった、と知ったのは学校を卒业してからのことである。中等部时代の体育や运动会、そしてサッカー部に入っていた僕はほぼ连日通ったグラウンドだ。久しぶりに立ち寄ってみようか。
中等部の西里方、叁の桥手前にひっそりとある纲町グラウンドはスペースこそ昔と変わらないが、いつしか木造の建物が消えて、土のフィールドもスマートな全天候型に変貌している。中等部生の时代、このグラウンドの土に破伤风菌がいるとかの理由で毎年痛い筋肉注射を打たされたものだが、その心配はなくなった、ということだ。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。