午夜剧场

慶應義塾

「今年はこんな新しいことができた」と いつでも振り返ることができる自分でいたい

卒业生 近谷直之君(経済学部卒)

2025/03/19

近谷直之(ちかたに なおゆき)/作曲家?音楽プロデューサー
2011年経済学部卒業。幼少期にピアノを始め、慶應義塾中等部ではマンドリンクラブに所属し、高等学校時代はバンド活動に没頭。高等学校?大学在学中はバンド活動以外にワグネル?ソサィエティー?オーケストラでビオラを演奏。慶應義塾創立150年祝典曲の作曲も手がけた。大学卒業後、CM音楽制作会社ミスターミュージックに所属し数々の大手企業のCM を担当。2013年には「三井のリハウス『みんなの声鉛筆』」でACC CMFESTIVALテレビCM部門「ACCゴールド」を受賞した。2015年に独立後は会社を立ち上げ、テレビ番組音楽、映画音楽、ゲーム音楽、アーティストへの楽曲提供やプロデュースなど幅広い仕事に携わっている。主なプロデュース作にテレビドラマ「パリピ孔明」「東京タワー」等。

音楽が何よりの楽しみだった少年~青春时代を过ごす

-近谷さんと音楽との出会いはどのようなものだったのでしょうか。

近谷:それが物心付くか付かないかの时期でよく覚えていないのです。父の仕事の都合で1歳から3歳のときに米国ニューオーリンズで暮らしていました。ニューオーリンズと言えばジャズが生まれた音楽の都です。街中の至る所でストリートミュージシャンが演奏しており、亲に闻くと私はそんなミュージシャンの演奏に合わせて楽しそうにピョンピョンと跳ね回りながら踊っていたそうです。その顷からピアノのレッスンも始めましたが、练习自体はあまり好きではありませんでした。ただ、うまく弾けると亲や周囲の大人が喜んでくれるのがうれしかった。どちらかと言うと谱面通りに正しく弾くより、自分で适当にメロディーやリズムを工夫しながら即兴演奏するのが楽しかったですね。もしかしたらそのとき感じた「楽しさ」が作曲をするようになったきっかけかもしれません。

日本に帰国して入学した小学校の卒业アルバムを见ると「作曲家になりたい」と书いてあります。でもまだ当时はぼんやりとした梦でしかありませんでした。

-庆应义塾高等学校时代は学生音楽団体のワグネル?ソサィエティー?オーケストラ(以下、ワグネル)に参加しながらバンド活动にも热中していたとか。

近谷:はい。私はバンドではギター担当で、庆应义塾の自由な雰囲気にも助けられ、どちらかと言えば勉强よりワグネルやバンド活动の方に力を入れていました。当时のバンド仲间とは现在に至るまで亲しく付き合っています。彼らは今は公认会计士、プロドラマー、会社を継いでいる者、私と同じく作曲家など、それぞれの道で顽张っていますが、会えば一瞬で中高生时代に戻ることができます。バンド活动をしていた时间はまさに青春でした。ちなみにベースだった宫本基央君(现?东都観光公司株式会社代表取缔役)から2021年に东都自动车グループの颁惭音楽の依頼を受けて一绪に仕事ができたことはとてもうれしい経験でした。

-大学では経済学部で学ばれ、ワグネルで引き続きビオラパートを担当されました。

近谷:音大受験もちょっと考えたのですが、音楽だけではなく、それを取り巻くビジネスや社会についても考えてみたかったので最终的には経済学部を选択したのです。山田太门教授(当时)の研究室で文化経済学の视点から音楽などのイベントがもたらす経済効果について研究しました。あまり意识しませんでしたが、音楽を仕事に选んだ今、ビジネスや社会と音楽とのつながりについて真剣に考えたことは得がたい経験になっていると思います。

とは言え、バンドも続けつつ、ワグネルでビオラを弾いていたりしましたから、中高时代と同じく音楽渍けの生活だったことは変わりません。ワグネルの仲间には现在気鋭の指挥者として活跃する坂入健司郎君がいました。彼とは経済学部の同级生でもあります。

音楽に没头した学生时代(一番右が近谷さん)

音楽を仕事にするためにはどうすればいいのだろう?

-大学时代からは作曲にも本格的に取り组まれています。

近谷:大学生になってパソコンと顿罢惭(デスクトップミュージック)のソフトがあれば曲作りも演奏も一人でできることを知って、音楽を仕事にする梦がいっそう膨らみました。2~3年生の顷からプロの作曲家のお手伝いをしたり、庆应义塾创立150年记念演奏会のために祝典オーケストラ曲『150の継承』を作曲し、4年生のときには『塾』に取り上げていただいたことも良い思い出です。当时の誌面に在学生の作曲家として笑颜の私の写真が掲载されていますが、「お前、これからが大変なんだぞ!」と自分に言ってやりたいですね(笑)。

-実际に音楽を仕事にするために相当の紆余曲折があったのですね。

近谷:はい。仲间たちがそれぞれ进路に向かって顽张っている中で、私はどうすれば作曲家になれるのかすら、全くわかっていなかったのですから。结局、大学を卒业してから半年以上は完全なニート生活でした。その间はコンビニでバイトをしていましたが、同级生が初任给で亲にプレゼントをしてあげたなどと、饮み会で盛り上がっている话を闻くと気分が落ち込みました。10年间、庆应义塾で学んだ自分が将来も见えずに暮らしていることが情けなく耻ずかしく、この期间はさすがに学生时代の友人たちとも距离を置いてしまっていました。ただしその间も闷々とした気持ちを抱えながら作曲だけは続けていました。颁惭音楽制作で业界ナンバーワンだった公司一社だけに绞って自作曲のデモテープを送り続け、ひたすら返事を待ち続けたのです。今から考えると无谋なのですが、父が「目指すならその业界ナンバーワンの公司にしなさい」と言った言叶が头にありました。その结果、卒业后半年余りを経てようやくその会社に入ることができたのです。

-ものすごい执念で「作曲家」への道を切り开いたのですね。

近谷:いや、ただ運が良かっただけで決して人にはお勧めできないやり方です(苦笑)。入社すぐの頃は雑用係であまり仕事がない状態でしたが、社内で触れる著名作曲家の膨大な作品データや資料から学んで、自分なりにいろいろなタイプの曲を作って社内プレゼンしてチャンスをつかもうと必死でした。入社後1年ぐらいすると仕事を任されるようになり、それからは年間200~300の楽曲制作に関わりました。確かに目の回る忙しさでしたけど、それだけの数をこなしたおかげでわかったこともたくさんあります。CMのターゲットや商品特性に合わせて曲を生み出すHOW TOみたいなものも身に付きました。そんな生活を4年も続けた頃でしょうか、次のステップを考え始めました。CM音楽の仕事は今でも大好きですが、より幅広く作曲家として羽ばたきたいと考えるようになったのです。そして2015年、27歳のときにフリーランスの作曲家として一歩を踏み出しました。

-独立してからのお仕事は顺调でしたか。

近谷:はい、特に営业活动のようなことはしないまま、会社の先辈やそれまでお仕事をした方々からたくさんの仕事をいただくことができました。仕事の种类もテレビ番组の音楽や映画音楽などこれまでより広がり、笔鲍贵贵驰や叠翱狈狈滨贰笔滨狈碍など着名アーティストへの曲提供やプロデュースなども手がけました。独立して良かったと心から思える日々を过ごしていましたが、そこにコロナ祸がやって来ました。颁惭やイベントがらみの仕事は轩并み中止となり激减。一时はかなりの穷地に陥ったのですが、2021年后半顷よりテレビの仕事を中心になんとか盛り返してきました。テレビ朝日ではワグネルの后辈がプロデューサーとして活跃していて、彼を通じて仕事の话が来ることもあり、感谢しかありません。

最近ですと、フジテレビ系『パリピ孔明』、テレビ朝日系『东京タワー』、テレビ东京系『锦糸町パラダイス~渋谷から一本~』の音楽を担当しています。『パリピ孔明』では、なんと主人公の父亲役として出演するという贵重な経験もできました。现在手がけている『锦糸町パラダイス』では実际に锦糸町を歩いて感じた「无国籍感」を作曲に生かし、民族音楽やロック、サイケなど多彩な曲を作ってみました。视聴者の皆さんがどのように感じておられるのか楽しみです。

ドラマの仕事は面白いですね。私の场合、事前に渡された脚本を読み、自分の头の中で俳优が演じるシーンを妄想しながら楽曲イメージを创り上げます。作っている最中は自分でセリフをブツブツ言いながら作业していますので、とても人には见せられない姿だと思います(笑)。

今、あらためて実感する人生は「Connecting the dots」

-今后やりたいと考えていること、作曲家、音楽家としての抱负をお闻かせください。

近谷:やはり老若男女多くの人が视聴する狈贬碍の大河ドラマや朝ドラの仕事は手がけてみたいですね。もし私が担当することになったら、これらの番组が大好きな祖母が大喜びしてくれると思います。ただ私は「〇〇の仕事をやりたい」というより、毎年「今年はこんな新しいことができた」と振り返ることができるように生きていきたいと思っています。学生时代はまさか自分がテレビの音楽番组で颁惭音楽制作について语ったり、ももいろクローバー窜の玉井诗织さんのソロコンサートでキーボード奏者として演奏することになるなど想像もできませんでした。东京国际フォーラムで开催された玉井さんのコンサートは私にとっての演奏者デビューでもありました。先ほどお话しした『パリピ孔明』でのなんちゃって俳优デビューもそうですが、日々さまざまな音楽の仕事をこなしながら、どのような変化球が来ても、全力で楽しむことができるマインドは常に持っていたいですね。未経験へのチャレンジから得られる刺激や紧张感が自分の新しい可能性を开く键になっていると思うからです。

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私はアップル社を創設した故スティーブ?ジョブズの人生は「Connecting the dots」という言葉に心から共感しています。この言葉の大意は過去の一つ一つの経験(dots=点)が、時を経てつなぎ合わされると思いもよらなかった人生の「絵」ができるということ。一つ一の「点」の時点では、果たしてどういう絵になるかはなかなか想像がつかないものですが、音楽を仕事とするべく紆余曲折を経てきた今の自分には、「点と点を結ぶことでしか、線は生まれない。絵を描くことができない」と痛感しています。

今、こうして「塾员山脉」のインタビューを受けていることも、これからの自分の人生の中の大事な「点」になるのかなと思っています。これを読んでいる塾员の皆さま、御社の颁惭も、ドラマや映画のための楽曲制作などもフルスイングで取り组ませていただきますので、ぜひお気軽にご连络ください(笑)。もちろん変化球も大歓迎です!

-最后に塾生へのメッセージをお愿いします。

近谷:私の人生はかなり「运」の要素が强く、あまり后辈たちには参考にならないと思うのですが、その中でも自分なりにジョブズが言う「点」を増やす努力は続けてきたのかなと思っています。それは何より私が心から音楽が好きだからでしょう。本当にさまざまなことがあった人生ですが、好きなことを仕事にできることは何よりも幸せだと思います。

もし音楽业界に兴味があるけれど、具体的にどうすればいいのかわからない、という迷える塾生の方がいらっしゃったなら、お気軽にご相谈ください。自分自身がこれまで庆应义塾の先辈や仲间たちに助けてもらったように、今度は自分がその役割を果たす番だと思っていますので、塾生の皆さんなら大歓迎です。

もちろん仕事だけが人生ではありません。特にこれから无限大の可能性が広がっている塾生の皆さんは大学での学问はもちろん、おそらく一生の付き合いになる友人との交游、そして恋爱も思いっきり謳歌してほしいと思います。

-本日はありがとうございました。

この記事は、『塾』AUTUMN 2024(No.324)の「塾員山脈」に掲載したものです。