午夜剧场

慶應義塾

叁田の福泽像

公开日:2017.02.02

叁田キャンパス図书馆旧馆は、耐震补强と内外装の老朽化に対応するための改修工事の準备に入り、この1月正面入口脇にある福泽諭吉胸像も撤去された。工事期间中は叁田演説馆前に移设される。

この「福泽像」が叁田キャンパスに姿を现したのは、昭和29年1月10日、福泽先生の120回目の诞生日のこと。场所は図书馆前ではなく、现在の研究室栋のところに建っていた叁田第一研究室前庭で、建筑家?谷口吉郎の选定で设置されている。

胸像(ブロンズ像)の制作者は普通部出身の柴田佳石(本名福四郎)。「长崎平和祈念像」の作者として知られる北村西望に彫塑を学び、昭和26年、日本陶彫会の発足时の会员となった。福泽桃介などの义塾関係者の胸像や、岐阜公园内にある「板垣退助像」も制作している。

福泽先生歿后50年を経て、先生の面影を知る者が少なくなったことで、叁田山上に像を据えようという运动がおこり、资金を募集したところ、たちまち寄付が集まったという。除幕式の挨拶で铜像建设委员の1人だった高桥诚一郎は、「叁田の大讲堂の坛上正面に掲げられて聴众を见おろしておられた和田英作氏画く先生の画像も戦争の劫火に焼け失せてしまった今日、(中略)これ〔铜像〕を塾内の好适な场所に建设して、日々学生诸君の仰ぐにまかせることもまた有意义ではあるまいかと考えた」と述べている。胸像背面铭文には「独立自尊 1953佳石谨作」とある。

この胸像は昭和42年、研究室栋建て替えのため撤去され、その后、学生运动の混乱等もあり、长らく义塾の仓库に収められていたが、昭和58年9月、福泽研究センター设立を机に、図书馆旧馆正面玄関左侧に移设されることとなった。

実はこの胸像、叁田にお目见えする1年前に交询社内に设置された福泽像と同じ塑像から成っている。柴田は福泽先生四女の志立タキ、四男大四郎、『时事新报』の风刺漫画で知られる北泽楽天らの助言を受け、1年余りをかけて交询社内の像を完成。出来栄えは见事で评判がよく、また是非屋外の光线のもとにこの像を、ということになり、原型からもう1基つくり、翌年の叁田设置となった。

义塾には现在、ほかに志木高等学校正面玄関にある大熊氏広制作の福泽諭吉座像、信浓町キャンパス大学病院中央栋玄関ロビーにある胸像(紫原佳石作)、日吉キャンパス図书馆前の胸像(山名常人作)、湘南藤沢キャンパスメディアセンター脇の胸像(山名常人作)があり、また幼稚舎自尊馆ロビーには本郷新制作によるレリーフによる胸像がある。

三田の胸像はしばらく稲荷山から塾生を見守ることになる。 (編集部)

※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。