画像:现在の日吉记念馆
2020年3月、日吉キャンパスで日吉记念馆の建て替え工事が完了した。日吉记念馆は白亜の建物として新たな日吉キャンパスのシンボル的な存在であり、式典や运动施设としての机能を有している。それ以前には、同様の机能の旧日吉记念馆があり、それは庆应义塾创立100年を记念して1958(昭和33)年に建てられ、约60年利用されてきた。
では、それ以前はどうなっていたのだろうか。
歴史を辿ると、1949(昭和24)年の骋贬蚕からの返还后、当该箇所には一时期テニスコート?バレーコートがあり、戦前(1945年以前)においては、空地のままであった。
日吉キャンパスは、1934(昭和9)年に创设され、银杏并木や陆上竞技场、第一校舎、第二校舎、蝮谷テニスコートなど、今のキャンパスの原型がその顷、出来上がっている。この计画を手掛けたのが、曾禰中条建筑事务所で、マスタープランを作るとともに、创建当时の各建物も曾禰中条による设计がほとんどである。
日吉记念馆は、银杏并木を抜けた正面に位置し、キャンパスの轴线の中央で、最も高い丘の上のシンボリックな场所である。そのような场所になにも作らず、空地のままにしておいたのも不思议である。
管财部仓库には1933(昭和8)年当该场所に计画されていた、曾禰中条建筑事务所が作成した「大讲堂」の図面が残っている。それは、地下1阶?地上4阶建て、9,158㎡、幅55m、奥行き72m、建物高さ35mの当时としては、巨大な建物である。1阶から4阶は3000人収容の大讲堂で、地下に小讲堂を配し、2つの讲堂を备える计画であった。创建时に作成されたキャンパス全体の鸟瞰図にも大讲堂が描かれており、当初から「大讲堂」が计画されていたことを物语っている。
现在の日吉记念馆は、式典の利用もできる、バスケットコート叁面分の运动施设であり、式典と体育馆の兼用机能となっている。それに比べて、この大讲堂は、纯粋に讲义を行うための、文化ホールとしての机能が色浓い。
日吉キャンパスでは、1939(昭和14)年に藤原工业大学が设立されるなど、校舎の整备が先行された。その后、戦时下の影响もあって、大规模な资金が必要な、巨大な讲堂の建设が、しばらく塩渍けとなって时が过ぎ、日吉记念馆建设まで、空地となっていたと考えられる。
幻の计画となってしまったが、もし当时「大讲堂」ができていれば、日吉キャンパスの景色もまた违ったものになっていたであろう。
日吉记念馆の以前には、幻の「大讲堂」の计画があったのである。
(管财部 渡辺 浩史)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。