Writer Profile

田中 智行(たなか ともゆき)
Other : 大阪大学大学院人文学研究科准教授塾员

田中 智行(たなか ともゆき)
Other : 大阪大学大学院人文学研究科准教授塾员
小学4年のころ、母が岩波少年文库の『西游记』を买ってくれたのがきっかけで、この作品を好きになった。横浜そごうの本屋で「いちばん详しいやつ」をねだり、当时最良の翻訳(平凡社)を手に入れ、贪り読む。1990年、普通部を受験して入学。労作展の存在を知ることになる。
入学初日、配布された『普通部会誌』(38号)には労作展にまつわる先辈方の文章が载っていた。中でも强烈だったのは、モンゴル语に兴味を持ち、中国语で书かれた文法书の翻訳を试みた荻野刚久先辈で、そのために中国语を一から学び、辞书と首っ引きで一字ずつ訳していったという。文章から迸る热気に打たれた。
よし自分は『西游记』研究だ。思ったはいいが何をすべきかわからないので、仏教美术を研究していた父に讯くと、『大唐西域记』という本を教えてくれた。难しげな本ではあるが、史実の玄奘叁蔵の経巡った诸国のことが书いてあるらしい。その记述を『西游记』と比较するという计画书を书き、社会科の労作展説明会に出たらハネられた。史料も自分で読めぬのに无理だ。谁かの本を写すだけになるよ。にこにこ諭され悔しかったがその通り。この言叶がなければ别の人生を歩んでいた。小谷俊彦先生には大恩を感じている。
しかたないから国语科へ回り、作品のあらすじを2年掛けてまとめ、所々に调べたこと考えたことを交えるというスタイルに落ち着く。音楽部の合宿が终わるや取りかかったが、この作品を要约するのは想像以上に愉しい作业だった。要约にはまず、作品そのものを舐めるように読みこまなければならない。落とす要素、残す要素を区别し、自分の感じた面白さが伝わるようにまとめていく。作品に没入しつつ、客観的な目も持たなければならない。それはどこか地図作りに似ていたかもしれない。何でも书きこんでいたら地図にならないが、しかし书かれるべきものは漏らさず书かれていなければならない。
『西游记』の叁蔵一行は、全100回あるうちの第49回で、唐と天竺のちょうど中间にある河を渡る。そこで物语が区切れるので、平凡社版は第49回までを上巻に収めていた。1年次には第50回まで要约するので、上巻だけでは仅かに用が足りない。原作もどうせなら第50回で渡ることにすれば区切りがよかったのにと考えて、これは第98回で天竺に着く半分に设定してあるのではないかと気づいたのが、普通部最初の夏の终わり。続けて2年次の夏、第77回に釈迦如来が强大な妖魔を降しに自ら出御する场面を読んでいて、如来がこのまえ天竺を离れたのはいつだっけと调べたところ、天界で暴れる孙悟空を惩らしめにきた第7回だった。これは数字の「7」を意図的に使っているに违いない──。
この発见は素朴ながらインパクトがあったようで、当时岩波文库で『西游记』を訳されていた北海道大学の中野美代子先生へ3年次に书いた「论文」の一部をお送りしたところ、狈贬碍教育テレビの讲座で绍介してくださり、后には论文や着书でも言及してくださったのには感激した。
一方で少々胸苦しくもあった。自分が本当に明らかにしたかったのは、作品の面白さの根源で、そういういわば仕掛けの部分ではなかった。仕掛けの背后にあるものこそを示したいのに──。悩んだがやがて思い至った。作品の面白さとは、読者の感性と作品とが接触して発する火花のようなものでこのうえなく大事だが、研究は火花の写真ではない。ただ、火花を散らした者にしか见えない作品の要素、言われてみればそうなのだが気づきにくい(または気づいても评価できない)事実の繋がりはある。そうした连係を指摘することもまた、作品の面白さを语る手段なのだと。
大学院に进む际、庆应を离れた。研究対象を『金瓶梅』に换え、9年前からその新訳に取り组んでいる(全3册。上中巻既刊、鸟影社)。大学院から先は国立大学の空気を吸っているが、普通部で言い惯らされる「一生労作展」を地で行っている。翻訳は原文を异言语でわかるように(??????)まとめ直す営為なので、日々の作业も普通部时代の夏休みと大きくは违わない。地図でいえば缩尺が20分の1から1分の1(!)に変わった程度であろうか。作品の面白さを伝えたいとの动机は、长丁场の訳业をいまも支えてくれている。
普通部时代、荒井栄一先生が叁田の旧図书馆に连れて行ってくださったのが忘れられない。いま日常接している资料の香りを、はじめて嗅いだ日だった。迷う私に文学部进学を勧めてくださった塾高の阿久泽武史先生(现校长)と今夏、甲子园で再会したのが縁となり、この原稿を书いている。その日のブラスバンド席にもいた塾高の栗山真寛先辈は、私の訳书が新闻で取り上げられるようご尽力くださった。どちらかといえば一匹狼タイプの私を、そのまま迎え入れてくれる包容力が、庆应の先生方、同学达にはあった。そしてそのおおらかな雰囲気を里打ちしているものこそが、伝统に培われた一贯教育の「面白さ」だと思うのだ。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。